ノースヨークシャー・ムーアズ鉄道 |
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ノースヨーク・ムーア国立公園のピカリングからウィトビーまで29キロを運行。観光用として夏期は1日5往復運行。
夏期以外は極端に運行回数が減る。ピカリング=ウィトビーの運賃(2016)は27ポンド。年間約30万人が乗車する。
ノースヨーク・ムーア国立公園の面積は1432平方キロ。海岸線の多くは絶壁で、ウィトビー、スカーバラなどの港町を含む。
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アナクロス |
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広大なローズデール(Rosedale)をハイキングすると、この十字架に出くわす。アナクロスである。
アナクロスは先史時代(青銅器時代)の埋葬地の上に立っている。台上はしばしばハイカーの腰掛け。
アナクロスの高さは台座を入れて約3メートル。
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霞たなびく |
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リブルヘッド Ribblehead 高架橋 |
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ヨークシャー・デイルズに架かるリブルヘッド高架橋。長さ約400メートル、高さ31メートル、24本のアーチ。
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ヨークシャー・デイルズ |
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ヨークシャー・デイルズ |
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赤い電話ボックス、色あせたヒース、積まれた石、いまにも崩れ落ちそうな石垣。
こういう風景こそ、フランスでもイタリアでもオーストリアでもない、まさにイングランド。
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イングルバラ |
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ヨークシャー・デイルズ=Yorkshire Dales にあるイングルバラ=Ingleborough はヨークシャー・デールズの3つの丘のひとつ。
標高は約720メートルと低いが、途中、石灰岩の岩肌に挟まれた道(ゴツゴツした石がころがっている)を歩く楽しみもある。
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ヨークシャー・デイルズ |
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太陽はムーアすれすれの高さまでしか上がらず、そのままの位置を保ってぐるりと移動するだけだ。
強い日差しを必要とする植物はあまり育たない。
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ヒース |
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咲き方と色をみるかぎり生命力が強いように思える。やわらかな光がヘザーを育てる。光が強いとたちまち枯れるのだ。
ヘザーとヒースはよく似ているので混同されることもあるが、ヒースの花弁は額片より長く、ヘザーは短い。
ヘザーの花弁は額片と同色で4枚、花弁に重なった額片は花のようにもみえる。
湿原のヘザー層が堆積し炭化したものがピートで、ハイランドでは燃料として不可欠であった。スコッチウィスキーの
ほのかな甘い香りの元がヘザーであることは、スコットウィスキー贔屓なら知っているだろう。
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ノースヨークシャー・ムーア |
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とがった石にしかみえないが、これも十字架。
ヘザーの咲く前、もしくは色あせた後、ムーアは荒涼たる風景に変わる。人を癒やすものは何もない。だがなぜか懐かしい。
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ノースヨークシャー・ムーア |
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空は晴れている。ときおり聞こえるつむじ風の音に耳をそばだてる。
大地が生みだすのは豊かな実りだけではない。胸にポッカリあいた虚空をも生みだすのである。
いちずであるがゆえに実らない、あるいは結ばれることを拒む魂が私たちのなかにひそんでいる。
殺伐とした風景をみて思い出すのはエミリー・ブロンテの「嵐が丘」(Wuthering Heights)である。
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日没 |
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嵐が丘の背景は冬のムーアである。エミリー・ブロンテは自らと同じ魂がムーアにあると信じた。それがヒースクリフかもしれない。
嵐が丘の主人公はヒースクリフではなくむしろムーアではないだろうか。作家と登場人物はすべてムーアに生きた同じ魂なのだ。
ヘザーが輝く時間。おそらくは生涯にわたって忘れられぬ光景。
群生するヘザーのなかにまぎれ込んだ風はうめき声をあげていた。夕焼けの美しさと対照的な風の音。
荒涼とはこういうものなのかと思わずにいられなかった。そして荒涼の美しさに鳥肌が立った。
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フットパスからの眺め |
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ローズベリー Roseberry |
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丘に続く丘。自分の歩く道を一望できる。そういうフットパスをゆっくり歩く。
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ロビン・フッズ・ベイ |
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ヘザー |
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そこにいるだけで、だまってながめているだけで、すべてが報われるような風景。
そんな風景と出会うために旅をしているのかもしれない。
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シティ・ウォール ヨーク |
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うしろに見えるのはヨークミンスター。
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ラベンダー |
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ゴースランド駅 Goathland Station |
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ノースヨークシャー・ムーアズ鉄道で元気な姿をみせている蒸気機関車。
ノースヨーク・ムーアズ鉄道は1865年につくられ20世紀半ばまで運行したが、1960年代にいったん廃止される。
が、復活をのぞむ声に押されて1967年、保存鉄道としてカムバック。
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ソルトバーン Saltburn |
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霞たなびく |
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この世のことはすべて山あいを曲がりくねって吹く風のごとく、あるいは、低くたれこめる霞の彼方の弱い光のごとく
遠ざかってゆく。その光は、北風の吹き荒れる暗い野に旅人がすくむとき、雲の絶え間から射してくる月の光にも
似て懐かしく、明るく感じる。
弱い光は臆しているかのようにかすかにほほえむだけだ。にもかかわらず弱い光は、深い霧につつまれた野を
すみずみまで照らす。
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ウィトビー(ウィットビー) |
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ウィトビー(ウィットビー) エンデバー号 |
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キャプテン・クックは航海訓練受講のため1746年、18歳のときウィトビー(ウィットビー)に来た。
長じてエンデバー号をウィトビーで造らせ、1768年から3度の大航海(ニュージーランド、オーストラリア、ハワイほか)
に出た。ウィトビー(ウィットビー)の北にスティシスという小さな漁業町があり、クックはそこの小間物屋の徒弟だった。
爾来200年余、木造帆船エンデバーは毎年のようにウィトビー(ウィットビー)を出航することとなる。
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Staithes スティシス |
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クックはウィトビー(ウィットビー)からA174を西北西に16キロ進んだ小さな村スティシスの食料品店で働いていた。
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