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ヘルムスリーを再訪したのは2016年6月下旬。ヨークからではなくピカリングからレンタカーで来た。
A170を真西に21キロの行程である。
景色は美しいし、道幅も広く走りやすい。ピカリングについては下の「Yorkshire 2016」をご覧ください。
英国のカントリーサイドの多くがそうであるように、古くからある町や村は中世的なレイアウトを保ちコンパクト。
前方の高い塔はマーケット・プレイスの目印。このあたりの広場が村の中心部。特筆すべきは澄みきった空気、透明感。
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ヘルムスリーの歴史は古い。6世紀末にはサクソン人が住みはじめ、
イングランドの征服王ウィリアム1世が1069年に侵略したという。
そのころからヨークシャーの市場町として栄えていたらしい。
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自転車を売っているのではなく、デコレーション。
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自転車の荷台に花飾り。英国の小さな町や村でよくみる風景。
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カースルゲートは文字通りヘルムスリー城(カースル)の北東約200メートルという至近距離にある。
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ヘルムスリー城の入場料は2016年現在6.4ポンド。夏期(5〜8月)の開場時間は10:00〜18:00。
9月1日〜10月31日までは概ね10:00〜17:00。
11月〜3月は曜日によって入場不可。時間も16:00までとなり、詳細はヘルムスリー城HPで確認されたし。
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ヘルムスリー・カースルの観光案内所。英国のほとんどのインフォメーションがそうであるように、
由緒来歴の説明は当然として、ガイドブック、絵はがき、ポスターのほか、しゃれたティーカップ、ミルクカップ
なども販売されている。
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ヘルムスリー城が築かれたのは1120年。城とリーヴォール修道院(後述)との距離はわずか3キロである。
13世紀後半には改修増築がなされ堅固な城となった後、紆余曲折をへて17世紀に市民戦争が勃発、サウスゲートや
イーストタワーの一部が破壊されたりしたものの、1687年にチャールズ・ダンクーム(後述)に売却された。
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サウス・ゲートハウスからイースト・タワーをのぞむ。
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ヘルムスリーからB1257を北西に4キロほど行くと「Rievaulx Abbey」の道標が見える。
そこを左折し700メートル進めばリーヴォール修道院。
周囲の小高い丘に登ると修道院跡を俯瞰することができる。空の大きさ、空気のうまさ、
森と緑地帯。すばらしいの一語。
(リーヴォール修道院はリーヴォ修道院、リボー修道院などの表記もあります。当HPではリーヴォールで統一しています)
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建築物を上から眺めると、とりわけこのように屋根のない状態の建物跡をみると全体のようすがわかってくる。
廃墟のようで廃墟にはみえない程度の荒廃はかえってリーヴォール修道院跡の美しさをきわだてているような気がする。
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大きく開かれた窓、独特のアーチが設計者と建築家の意気込みを感じさせるゴシック様式。
屋根なしの建築跡ゆえに肉視可能な構造。
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修道院跡の入場料は8ポンド(2017年3月)。開場時間は2016年10月31日まで10:00−17:00。
11月1日以降は概ね火〜土10:00〜16:00。ただし冬季休暇もあって、1月、2月は曜日に変更もあり、
詳細は当該HPで確認を。
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リーヴォール修道院は1132年シトー派が建立したという。歴史の変遷をへて16世紀ヘンリー8世の治下、
修道院解散令により800以上の修道院が没収または破壊されたが、リーヴォール修道院も例外ではなかった。
爾来、浮世のまにまに身を任せ、修道院跡として歴史に名をとどめている。建物右側は回廊の一部で、
中庭にサークル状の石積みや井戸がある(参考図参照)。
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リーヴォール修道院跡を訪れる旅人は、抜群のロケーションのなかに立つ厳かな佇まいと壮麗なアーチをみる。
往時の栄光と繁栄を偲ばせるに十分な道具立てである。そして解放感にひたるのだ。
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ロンリープラネット「英国」に【修道院長の一人、聖アエルレッド(12世紀)がこの地について述べた言葉、
「すべてが平和、すべてが平穏だ」は有名」】と記されている。修道士のだれが荒廃を予想しえただろうか。
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リーヴォールテラス&テンプルズの建築物はダンクーム・パーク(約36800坪)の一部だった。
18世紀初頭ゴシック様式の風景式庭園が流行、裕福な資本家実業家は流行に乗り遅れない
よう遺跡ふうの建物をたてた。
チャールズ・ダンクーム(1708年ロンドン市長に就任)は1687年リーヴォール修道院一帯を購入
したが、1713年、修道院近くにテラス&テンプルを建てたのはチャールズの息子トーマス・ダンクーム。
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この建築物は上の建物と芝生を隔て両端に鎮座する。その間約800メートル。
ダンクーム・パークは広大なハンブルトン丘陵南東部の一部にすぎないが、
ダンクーム家の繁栄がみえてきそうだ。
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リーヴォール修道院からそう遠くないところにあるライ川。修道院建設がはじまると、川の流れを変える
土木工事がおこなわれたという。
修道院の近くに川があり、地下水も豊富だったことが修道院建設のポイントになり、修道院には
多くの井戸があったらしい。
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