2015年3月上旬〜中旬 家内が北西インドの諸都市デリー ジャイプール アグラへ行ってきました
(「北西インド 2015」は家内撮影)
クトゥブ・ミナール
クトゥブ・ミナール
 
デリーから16キロ南にあるクトゥブ・ミナールは一大建築群の中心をなす塔。
インド現存の石造りの塔では最も高い72.5b、5層。建設着工は1199年。
ヒンドゥー様式とイスラム様式の混在はめずらしい。
 
イスラム寺院跡
イスラム寺院跡
 
 
イスラム寺院跡
イスラム寺院跡
 
右横の高さ7b余りの鉄柱は4世紀、グプタ朝の王チャンドラ・グプタが造った。イスラム教徒侵入よりずいぶん前である。
 
鉄柱に背中をつけて、うしろに回した手がつながれば願いごとがかなうというけれど、どうだか。
 
イスラム寺院跡
イスラム寺院跡
 
イスラム寺院跡。
 
イスラム寺院跡
イスラム寺院跡
 
このあたりはオウムが多い。
 
 
イスラム寺院跡
イスラム寺院跡
 
 
クトゥブ・ミナール
クトゥブ・ミナール
 
 
フマユーン廟
フマユーン廟
 
 
フマユーン廟
フマユーン廟
 
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓所。フマユーン帝の死後8年目、1565年完成。
「第1代皇帝バブルの墓はアフガニスタン・カーブルにあり、簡素な墓」(1972年10月アフガンを旅してきた夫の言)
 
フマユーン廟はタージ・マハールの原型であるという。
 
 
風の宮殿
風の宮殿
 
ジャイプールにあるハワー・マハル(別名「風の宮殿」)は、ピンクシティと呼ばれる一角にある。
世界文化遺産の天文台(ジャンタル・マンタル)に隣接し、ジャイプールの観光名所である。
 
風の宮殿はジャイプールを治めていたラージプト王によって1799年に建てられた。赤みがかった
砂岩を外壁に使った5階建て、953の小窓が通りに面している。
小窓は宮廷の女が自分の姿を見られることなく通りのようすを観察したり、祭りの行列を愉しむ
ためにつくられた。
 
「風の宮殿」の名は、小窓から入る風(ヒンディ語でハワー)が室内をまわって涼をもたらすことに由来する。
 
 
天文台
天文台
 
ジャイプールの建設者ジャイ・シング王が1728〜1734年に建てた。マハラジャの居城シティパレスの一角にある。
 
右端の円い造形物は天文観測儀。
 
天文台
天文台
 
熱のこもった説明をするインドのガイド。左上の修理工事人がいかにもインド的。
 
天文台 観測儀
天文台 観測儀
 
天文観測儀は日干しレンガ造りの土台に石灰の漆喰を塗ってある。
 
インドの天文学はヒンドゥー教の祭祀と結びつき、占星術と表裏一体で発展していった。
いまも結婚式ほかの儀式はバラモンの占星術によって日時が決められることが多い。
 
 
シティパレス
シティパレス
シティパレス内部
シティパレス内部
アンベール城に向かう
アンベール城に向かう
 
途中から道幅が狭く観光バス進入禁止となるので、バスから小型四駆に乗り換えアンベール城に向かう。
 
 
アンベール城
アンベール城
 
ジャイプール市街から約11キロ北東へ進むと岩山の要塞が見えてくる。アンベール城だ。
 
城のふもとに貯水池が広がり、そこから城門まで150bの坂道。観光客用の象に乗るのもけっこうだが、
ここは歩いてのぼる。
アンベール城の基礎は11世紀ごろつくられたという。ムガール帝国時代、アクバル帝(第3代)の後宮に娘
を差し出したのがアンベール城主ラジャ・バグワン・ダース。以後彼はムガール帝国と強力な同盟を結んだ。
 
アンベール城
アンベール城
アンベール城
アンベール城
 
城内にはいくつかの宮殿が建ち並んでいる。
 
アンベール城
アンベール城
 
左端のガラスに撮影者が写っている。
 
アンベール城
アンベール城
アンベール城
アンベール城
アンベール城
アンベール城
アンベール城 勝利の広間
アンベール城 勝利の広間
アンベール城 勝利の広間
アンベール城 勝利の広間
アンベール城
アンベール城
アンベール城 鏡の間
アンベール城 鏡の間
 
何万枚もの小さな鏡を壁にはめ込んでいる。
 
アンベール城 至福の広間
アンベール城 至福の広間
 
アンベール城「至福の広間」の天井は17世紀工芸の代表作であるという。
 
 
ファテープル・シークリー  アグラ
ファテープル・シークリー  アグラ
 
アグラの南西40キロほどに位置。アクバル帝造営の王都の跡。
 
ファテープル・シークリー  アグラ
ファテープル・シークリー  アグラ
 
イスラム神秘派の信奉者アクバル帝の男子誕生を予言したサリム・ティシュティが住んでいたシークリー村に都を建設。
アクバル帝は男子にサリムと命名する。のちの第4代ジャハンギール帝である。建物はイスラム様式とヒンドゥ様式の折衷。
 
ディーワーニ・カース 一本柱
ディーワーニ・カース 一本柱
 
貴賓接見用の宮殿ディーワーニ・カース内の巨大な一本柱。この上に玉座がある。
 
 
夜明け前のタージ・マハール
夜明け前のタージ・マハール
夜明け後のタージ・マハール
夜明け後のタージ・マハール
夜明け後のタージ・マハール
夜明け後のタージ・マハール
タージ・マハール
タージ・マハール
 
タージ・マハールはムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが産褥死した皇妃ムムターズのために造営した廟。
1632年に着工し、22年後に完成したという。
高さ58bの廟堂、42bの尖塔。その規模と圧倒的な美しさはインド随一といっても過言ではない。
 
タージ・マハール
タージ・マハール
タージ・マハール
タージ・マハール
スタディ・ツアー
スタディ・ツアー
 
スタディ・ツアーでインドに来ていた学生。
 
スタディ・ツアー
スタディ・ツアー
 
スタディ・ツアーの学生と記念写真
 
タージ・マハール
タージ・マハール
 
廟の後ろ側にはこういう風景が広がる。
 
タージ・マハール
タージ・マハール
 
 
アグラ郊外
アグラ郊外
 
アグラの宿泊先から20分ほど歩くとこのような光景に出くわす。
 
 
アグラ城
アグラ城
 
1565年、ムガールの第3代アクバル帝がそれまでの要塞を改修し、周囲3キロの城壁に囲まれた城塞アグラ城をつくった。
 
アグラ城からのぞむタージ・マハール
アグラ城からのぞむタージ・マハール