バルセローナに関しては、あまりに多くの事が語られていて、
いまさらという気もします。いまさら出る幕を探しても、すでに役者は
揃っているではないか…。そこで私は引用文を使います。
小森雄「幻想都市」のバルセローナとグエル氏にふれた文章を‥。
グエル公園
グエル公園
 
以下は小森雄著「幻想都市」からの引用です。
 
「スペインは19世紀末、アメリカとの戦争(米西戦争)に敗れ、グアム、プエルト・リコ、ハワイ、フィリピンを失い、さらにキューバの貿易優先権をも事実上アメリカに奪われた。当時バルセローナは、貿易の60%をキューバとおこなっていたのである。
にもかかわらず、工業都市バルセローナは19世紀末には人口が51万人に達し、スペインの鉄道網も19世紀半ばの24倍、1万2千`を越えていた。
農産物の輸出も増加の一途を辿っていたが、これみなすべて外国人投資家の投資の賜物であった。」
グエル公園
グエル公園
 
「勿論、投資による利益がすべてバルセローナに還元されたわけのものでもない。生き馬の目を抜くはげ鷹のような他国者(よそもの)が甘い汁を吸っていた。
しかし、かれらの投資のおかげでスペインの国富はまちがいなく増大した。バルセローナの町にも活気が漲っていた。そして、町の成功者の代表ともいうべき人にグエル氏がいる。」
 
グエル公園
グエル公園
 
「グエル氏はキューバとの砂糖貿易で巨大な富を築き、船会社を設立し、さらに交易網を南北アメリカに広げ、木綿や羊毛の紡績工場で儲け、銀行業、株相場、鉄道、セメント、住宅建設とあたかも現代の総合商社のように次々と手を広げ、利潤の海をこぎ渡り大成功をおさめた人である。グエル氏はまた建築家アントニオ・ガウディのスポンサーでもあったのだが。」
 
グエル公園4
グエル公園4
 
「ガウディが晩年を迎える1920年前後のバルセローナ市は、人口の増加(100万人に達していた)に伴って、都市部を郊外に拡充する住宅計画を立案・実施していた。有名なランブラス通りは、今では旅行者の恰好の散歩道であり、通りの中央部には様々な店(花屋、小鳥屋、ギフト・ショップ、ホットドッグの屋台など)がしのぎをけずっているが、80年前は今と様相を異にしていた。」
 
グエル公園
グエル公園
 
「1920年代のバルセローナは、市内の工場のほとんどがストライキに入り、いつ暴動がおきてもおかしくはなかった。事実暴動はおきた、無政府主義者やごろつきに煽動された民衆によって。ファナティックになった民衆の一部は工場や工場主の自宅になだれ込み、急をきいて駆けつけた警官と揉み合いになり、双方に多数の死傷者を出したのである。警官の殺害に直接手を下したのは、民衆の中に紛れ込んでいた無政府主義者たちであった。」
 
グエル公園
グエル公園
 
「19世紀初頭、ピレネーの向こうはアフリカであると言ったのはナポレオンである。当時のスペインは蛮族の住む国にされているのであるが、そのことばひとつでナポレオンの権勢のすさまじさを想像できよう。」
 
グエル公園
グエル公園
 
「しかし本物の蛮族ほかにいた。イスラム教徒の中で落ちこぼれて海賊になったならず者は、金目になるものなら何でも奪ったが、持ち運びに便利で、動かすのに力もいらず、重宝で、しかも大金にかえることのできるものを特に頻繁に収奪した…。
人間である。若い女性、ことに美少女(美少年も)は破格の高値で売れたのである。」
グエル公園
グエル公園
 
「人身売買を生業orアルバイトにしていたのは、大部分のイスラム教徒ではなかったし、正規のイスラム軍団はそんなことはしなかった。いや、しなかったというより、スルタンの命令で出来なかったというほうがよいのかもしれない。
相手がだれであれ、異教徒(イスラム教徒から見ればキリスト教徒は異教徒)とみれば改宗などさせずに、異教徒ひとりに幾らという税金、人頭税を取り立てていた。
 
そのほうが無駄な血を流さずにすむばかりか、将来にわたり安定した税収入も確保できる。」 
サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア