1999年から2018年まで不定期に数回旅したフランス南部のリュベロン地方
と南西部ミディピレネー地方の小さな町や村。
 
2020年9月20日、未掲載画像を整理し新たにアップしました。

オーバーニュ ガルバラン山塊の見える風景 リュベロン
オーバーニュ ガルバラン山塊の見える風景 リュベロン
リュベロン地方オーバーニュの人口は約4万5千。
盆地状の町で、ガルバラン山塊がよく見えます。
 
 
ガルバラン山塊 途中休憩
ガルバラン山塊 途中休憩
元気なのは子ども〜中年まで。バテるのは高齢者。
 
へとへとになっても高齢カメラマンはシャッターを押します。
 
 
マルセル・パニュルの別荘跡 オーバーニュ
マルセル・パニュルの別荘跡 オーバーニュ
仏映画「マルセルのお城」の原作者マルセル・パニョル(1895−1974)の別荘跡。
ベロン村にありますが廃墟となっています。
 
 
オーバーニュ リュベロン
オーバーニュ リュベロン
フランス式スマートボール?
 
 
オーバーニュ リュベロン
オーバーニュ リュベロン
ペダルとミキサーが連動しています。出来上ったミックスジュースは販売対象。
 
 
オーバーニュ リュベロン
オーバーニュ リュベロン
10枚の木製パネル(図柄)を順不同に並べ、正しく並べ直すゲーム。
3人1組のチーム編成。異なる図柄にそれぞれが挑戦し、合計時間の早さを競う。
 
選手は黄色いスカーフを原則として首に巻きます。
 
 
オーバーニュ リュベロン
オーバーニュ リュベロン
終わってもいないのに頭に巻いている女子もいるし、気合いを入れるためか鉢巻の人も。
 
自由主義は個性を重んじる。どの国だったか、マスク拒否した人々がいました。
 
 
オーバーニュ リュベロン
オーバーニュ リュベロン
片足で立ち、落下するまでの時間を競うゲーム。杭に上がるときは審査員が手助けします。
 
 
オーバーニュ
オーバーニュ
催しのさなか、静まりかえった町なか。
 
 
オーバーニュ
オーバーニュ
オーバーニュ
オーバーニュ
フランスの黄昏と夜は格別のおもむきがあります。
 
 
リュベロン
リュベロン
加齢とともに朝が苦手となり、陽がまぶしくて。
 
 
ミネルヴ村  リュベロン
ミネルヴ村  リュベロン
ミネルヴ村は人口110人ほどの小村。
 
 
オーリボー リュベロン
オーリボー リュベロン
かなり昔、といってもローマ時代ではない水道。
 
 
シルヴァカンヌ修道院 リュベロン
シルヴァカンヌ修道院 リュベロン
左手に持っているのは何?
 
セニョン村  リュベロン
セニョン村  リュベロン
セニョン村は平野部と崖に沿う斜面部とにわかれ、村全体が高原。人口は1000人ほど。
 
 
セニョン村 リュベロン
セニョン村 リュベロン
ラベンダーを売るおじさん。乾燥ハーブは用途が広く、家庭で重宝される。
 
夾竹桃が咲いています。キョウチクトウの花期は長く、6月から9月まで。
 
 
リュベロン
リュベロン
リュベロン地方のラベンダーは6月半ばから7月半ばが最盛期。
見るなら夕暮、太陽がやさしい時間。
 
 
ビュウー リュベロン
ビュウー リュベロン
近くで見るとドライフラワー。
 
ラベンダーは農家、修道院などで栽培され、生活基盤です。
 
 
 
グルト リュベロン
グルト リュベロン
とても小さなアンティーク・ショップ。
 
 
グルト リュベロン
グルト リュベロン
メネルブ
メネルブ
暑くて誰も座ろうとすないカフェのテラス。
 
 
メネルブ リュベロン
メネルブ リュベロン
ボニュー リュベロン
ボニュー リュベロン
彼方に見える山の上は雪ではなく石灰質の岩肌。
 
 
ルールマラン
ルールマラン
刈り入れが終了し、残りもまもなく。
 
 
コルド・シュル・シェル ミディピレネー
コルド・シュル・シェル ミディピレネー
毎年コルドで7月におこなわれる中世フェスティバル。
 
前の子どもと男性がつけているのはホタテ貝の殻。
サンチャゴ・デ・コンポステーラのへの巡礼者という設定。
 
コルド・シュル・シェル
コルド・シュル・シェル
コルド・シュル・シェル  ミディピレネー
コルド・シュル・シェル  ミディピレネー
コンク ミディピレネー
コンク ミディピレネー
帽子をかぶった人は巡礼者。
 
 
サン・シルク・ラポピー ミディピレネー
サン・シルク・ラポピー ミディピレネー
ロット県の珠玉サン・シルク・ラポピー。人口約190人の村。
 
 
サン・シルク・ラポピー ミディピレネー
サン・シルク・ラポピー ミディピレネー
ロット川。
 
 
オートワール・ミディピレネー
オートワール・ミディピレネー
ベルカステル ミディピレネー
ベルカステル ミディピレネー
アヴェロン川に架かるベルカステル橋。
 
 
カレナック ミディピレネー
カレナック ミディピレネー
右側の建物はインフォメーション(観光案内所)。
 
 
フィジャック ミディピレネー
フィジャック ミディピレネー
ナジャク ミディピレネー
ナジャク ミディピレネー
尾根伝いに民家が蛇行するように群れ建つナジャック。
 
 
ナジャク ミディピレネー
ナジャク ミディピレネー
村のどこからでも見えるナジャック城。
 
 
カルダヤック ミディピレネー
カルダヤック ミディピレネー
セサック城跡 ミディピレネー
セサック城跡 ミディピレネー
カルカソンヌの北西にあるセサック城の跡。13世紀、アルビジョワ派討伐の十字軍によって落城。
16世紀、ロテスタント軍が進攻し、村は破壊されましたが、セサック城は持ちこたえます。
 
フランス革命以降、盗掘の嵐が80年間にわたって吹き荒れ、結局、城は廃墟となります。
 
 
 
カルカソンヌ シテ ミディピレネー
カルカソンヌ シテ ミディピレネー
カルカソンヌ シテ ミディピレネー
カルカソンヌ シテ ミディピレネー
カルカソンヌ シテ ミディピレネー
カルカソンヌ シテ ミディピレネー
ロカマドゥール ミディピレネー
ロカマドゥール ミディピレネー
 
 
ロカマドゥール ミディピレネー
ロカマドゥール ミディピレネー
1999年10月半ばの夜、司教館の近くにある小さなレストランで夕食を終えたのは10時半ごろでした。
シーズンオフなので客は私たちのほかに一組。最後に残ったのは私たち。
 
崖上の曲がりくねった細い坂道は地道で街灯はなく、ライトアップされた司教館の灯りが小道を点すのを
頼りにとぼとぼ歩きました。
 
闇に浮かんだ山吹色の司教館があまりにも美しく、何度も振り返って時を惜しむように立ちつくした。
そのうち灯りは届かなくなり、お互いの顔も足もとも見えず、漆黒の闇を30分ほど歩いたでしょうか。
 
ふつうに歩けば40分の道のりを2時間以上かけ、宿にもどったのは午前1時前。
翌朝、ロカマドゥールは深い霧におおわれ、崖下の舗装路を歩く靴音だけが聞こえてきます。
 
靴音は谷に響く悲劇的音階のように刻まれていった。あの夜と朝の感動にまさるとも劣らないのは、
フランスの旅にかぎれば、コルド・シュル・シェルを一望できる丘にのぼったときの体験だけです。