2019年12月10日、閉門間際の午後4時40分ごろ右京区嵯峨北堀町の鹿王院へ行きました。
嵐電利用の場合は「鹿王院」(ろくおういん)駅(「嵐山」の一つ手前)で下車、南西へ150メートル。至近距離。
 
昨年11月下旬、伴侶の友人が旅立ち、一周忌の命日に伴侶は墓参りに出かけたのですが、探せどたどり着かず、
2時間迷ったあげく、ほかに用もあったのであきらめました。
 
京都は不思議に満ちており、65年にわたってなじんでいてもわからないことが多く、区割りもその一つ。
蹴上は東山区なのに通一本わたれば左京区となり(地下鉄・蹴上駅は区境)、20メートルも歩くと山科区。
左京区は南北に細長く、いまだにどこからどこまでカバーしているのか地図を見返さないとよくわかりません。
 
故人の奥方と蹴上で待ち合わせた伴侶など3名が墓参したのは3月31日。市営墓地のように大きくもなかったし、
お寺の墓地でもなかったと伴侶は言っていましたが、京都市営大日山墓地(左京区粟田口大日山町)かもしれないと思い、
午後2時ごろ、蹴上のホテル駐車場に車を駐め、上り坂を歩いて大日山墓地に着き、墓標を探してみても見当たりません。
 
付近をぐるぐる歩き回り、とある掲示板の絵図(山科区日ノ岡一切経谷町=いっさいきょうだにちょう)の右上部に
等高線が数本えがかれており、そこは民家もないし空き地だと考え、そこへ行きました。墓地があった。そこでした。
 
目印になるものがなく、迷路をぬけるのに時間はかかった(徒歩90分)けれど、探りあてることができてよかった。
 
鹿王院山門
鹿王院山門
 
蹴上を出たのは午後4時過ぎ。大幅におくれて鹿王院到着は4時40分ごろ。閉門まで約20分。間にあいました。
 
「鹿王院」は足利義満が1380年「覚雄山(かくゆうざん)宝幢(ほうとう)禅寺・鹿王院」と命名して建てた。
山門上「覚雄山」の額は義満筆。
 
鹿王院山門
鹿王院山門
 
参道から見る山門。民家の250メートル先は桂川。
 
鹿王院参道横
鹿王院参道横
 
撮影中は特に問題なかったけれど、帰宅後PCに取り込んで見ると、
撮影前カメラのボタンに指が当たったのか、何かトラブルがおき、誤設定となって画像サイズが極小。
 
仕方なくそのままアップ。半年前の鹿王院以来、耄碌つづき。
 
参道横側
参道横側
 
 
鹿王院中門
鹿王院中門
 
中門をくぐると参道は二手にわかれます。
 
鹿王院庫裏
鹿王院庫裏
 
主参道は庫裏へと続く。
 
庫裏の玄関
庫裏の玄関
 
拝観客はもう来ないと受付が判断したのか、係の女性はお掃除のさいちゅうだったみたいで、
大声で叫ぶと出てこられました。
 
客殿への渡り廊下
客殿への渡り廊下
 
廊下を渡ろうとすると庭が見え、中心に舎利殿(左の多宝塔)があります。
中には源実朝が宋から招来したという仏牙(ぶつげ)が安置されているとか。
 
仏牙=釈迦を荼毘に付したおり、舎利から出た歯のことです。
 
客殿
客殿
 
 
客殿と石廊
客殿と石廊
 
 
本堂への通路
本堂への通路
 
鹿王院「栞」によると本堂には運慶作「釈迦及十大弟子」がまつられているそうです。
 
離れ
離れ
 
 
 
 
 
 
参道 帰路
参道 帰路
 
中門を出て振りかえる。
 
参道 帰路
参道 帰路
 
 
参道 帰路
参道 帰路
 
20分で拝観を終え、コーヒーが大好きだったOT君(伴侶の友)と一緒に飲もうとポットにいれてきたのに、
お墓探しに時間をとられてしまい墓前で飲めなかったコーヒーを、鹿王院駐車場の車中で飲みました。
 
日没の薄暗がりのなか、コーヒーのおいしかったこと。