「プロ意識」、「その道のプロ」という言い方は昭和30年代半ばまでされていなかった。メディアがプロという言葉を使いたいので使い始めたと思われる。プロを強調するのがプロ意識でもないだろうに何かといえばプロ。
数十年前まで後輩記者がたるんでいると「プロ意識を持て!」とはっぱをかけた。報道の本分は何か。伝えるだけならモグラでも猫でも伝える。
みながクチにした「プロ」は「一人前」と同義なのだが、一人前ということばは古くさいと思われたのか、ほとんど使われなくなって周りはプロだらけ。なんらかの仕事を生業(なりわい)にし、その仕事で生計を立てているのがプロ。技術がすぐれていようと、生業でない者はプロの名を冠さないのが暗黙の了解。
歌、漫談、物書き、工芸ほか、プロでなくてもすぐれた人はおり、音痴な歌手や、大阪のおばちゃんより芸のないお笑い芸人、腕のわるい工芸家などアマチュアに劣るプロはそこらじゅうに散らかっている。なぜ芸のない連中がテレビ出演できるのか。テレビをみる側が自分と同程度と思えるからだ。そんな芸で金を取っているのかと倒錯気味に得心するからだ。
子ども時代、近所で見かけるプロは大工や左官だった。大工がかんなを使って材木、特に柱を削る音「しゅう、しゅう」が心地よく、缶蹴り、ビー玉遊びを中断し耳をそばだてるだけでは物足らず、現場に行って間近で観察した。
左官の見習い職人が壁を塗ると波だって貧乏くさい。かんなを扱う大工も新米は木材を削る音が耳障り。表面がすべすべしておらず、親方が手直しする。弟子は修練に次ぐ修練をへて一人前となる。技術だけでなく物腰も風合いも定まる。それがプロだ。
何に使うというわけでもないのに、かんな屑を集め、袋に入れ、空き地にばらまいている子がいた。近所のおばさんにこっぴどく叱られ、逃げ場を失い、いやいや拾っていた。
小生もかんな屑を集めたことがある。ずた袋にぎゅうぎゅう押し込み紐で結わえる。紐を解き、袋を開けるとかんな屑は、こぼれ落ちんばかりに大きく膨らみ、再び押し込むと、かさこそ縮む。
後年アマチュアリズムという言葉が流行した。19世紀、英国で提唱され、賞金、賞品を目的とせずスポーツにいそしみ、スポーツは身分の差で分け隔てしないという考えがアマチュアリズムの根底にあった。
地代で莫大な収入を得ている貴族(大土地所有者)が、額に汗する労働者(プロ)に対して、「お前たちのスポーツは金銭がからむ」と蔑み、自分たち貴族こそアマチュアなのだと喧伝。貴族がポロに興ずるとき金を賭ける者もいるだろうに。
世界最初の競馬場は16世紀半ば、英国のチェスターに設けられた。18世紀末の英国で有名な八百長疑惑事件(エスケープ事件)が起きる。当然、金銭がらみである。
後のジョージ4世の王太子時代、所有馬エスケープが圧倒的一番人気(単勝オッズ約2倍)で、名騎手が騎乗したにもかかわらず4着に沈む。その後のレースで人気薄となって圧勝した。ジョッキークラブが異議を唱え、王太子は撤回させようとしたができなかった。疑いを持てば追及するのが英国流。
金銭がからむのは今に始まったことではない、古代から貴賤、金額の多少にかかわらず賭けは存在し、経済生活の乱れから賭博を違法とする時代もあったが、賭けは労働者のささやかな娯楽。
左官、大工の腕や出来ばえに対して賭ける者はいない。いつの時代も高飛車で鼻持ちならない者、上から目線の人間はいる。人を見下す者は高慢と無恥が同居しており軽蔑される。彼らと対照的に腕のいい左官や大工は謙虚だった。
お昼時、左官職人が庭先を使わせてもらってもよいかと尋ねたあと縁台に腰かけ、アルマイトの弁当箱を開けて食事するようすは広重の絵さながら、はっぴ姿が目に浮かぶ。
祖母がお茶を運んでくると目尻にしわをよせて頭を下げ、うまそうに茶を飲んだ。些細なことでも感謝の気持ちがにじみ出ていた。令和の時代、礼儀知らずの人間に愛想を尽かした謙虚は逃げていった。古き良き昭和が懐かしい。
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