2025/12/12    昭和の風景(十五)
 
 戦後の昭和は歌謡曲全盛時代だった。この歌もあの歌も作詞作曲にすぐれ、おぼえきれない数の歌が巷に行き交い、ラジオ、テレビでくり返し流された。平成になって間もなく、作詞作曲家は次々鬼籍に入り、歌は廃れ、歌手もちりぢりとなり、近年の歌謡曲は耳障りなだけでぱっとしない。
 
 かつてニュース番組に存在した名キャスターの後継者が出てこない。BSーTBS、BS日テレの夜の報道番組で健闘しているキャスターはいるのだが、久米宏、磯村尚徳、安藤優子のように是が非でも報道をみたいと思わせる人物がいなくなった。
ドラマも同じ、市川森一、山田太一、向田邦子、早坂暁、倉本聰などの名脚本家、和田勉、久世光彦、深町幸男、堀川とんこうなどの名演出家が姿を消し、ドラマをみようという気持ちにならない。
 
 テレビ、録画機のアナログ時代、ビデオテープはかさばって重く、デジタル化されて以降DVD、BDはコンパクトで収納保管が楽。またみたいと思う番組(ドラマ、映画、ノンフィクション、歌)を次から次へダビングした。
500枚くらいまではよかったが、どんどん増えて保管場所に窮し、収納ケース10数個を書斎の床に投げ出している。それでも増えつづけ限界に達し、もうダビングはやめたと思いつつ、どうなることやら。
 
 最近の歌手が出演する番組に興味はなく、往年の歌手が出るか、歌まねタレントが出てくる番組をみる。坂本冬休み(奥村チヨや八代亜紀の歌まね)、ノブ&フッキー(ぴんから兄弟の歌まね)は特におもしろく笑わせてくれる。
35年ほど前から歌まね界で活躍したが、体調不良で休業していた篠塚満由美が復活し、江利チエミの「テネシー・ワルツ」を歌い、しびれた。篠塚と同年代の岩本恭生も健在、昔通りの沢田研二を歌っていた。
 
 昭和40年代から約20年間、さまざまな作詞家、作曲家、歌手が輩出した。演歌は苦手なので、ポップス系の歌手で思い出に残るのは、坂本九、布施明、尾崎紀世彦、寺尾聰、谷村新司など。女性では、弘田三枝子、チェリッシュの松崎悦子、高橋真梨子、テレサ・テン、庄野真代など。 
都はるみ、ちあきなおみは演歌だと思うけれど贔屓にした。青江三奈は水商売の雰囲気がただよい、避けて通っていたが、いまになって「うぉ〜、歌うまい」と、独特の雰囲気、ハスキーボイスに魅了された。水原弘は声も歌唱力も抜群だったけれど、酒浸りの日々を送り、短命に終わった。
 
 先日、聴いた曲で、当時はそれほど感じなかった岩崎宏美「思秋期」に胸打たれた。澄んだ声、歌のうまさが「思秋期」に合っている。歌謡番組司会者の決まり文句、「歌は世につれ、世は歌につれ」。戦後昭和史は歌謡曲「青い山脈」(1949)から始まり、歌謡史と連なる。
 
 「雨にぬれてる焼けあとの 名もない花もふり仰ぐ 青い山脈 かがやく峰の」。 「父も夢みた 母もみた 旅路のはての その涯の 青い山脈 みどりの谷へ」
 
 小学校唱歌と同じ感覚でくちずさんだ。歌いやすかったのだ。敗戦の暗いイメージを払拭するかのように一丸となって希望の果実を植えていく。家族も近所の人もみな明るかった。すねたり、ひがんだりするヒマはなかった。そういう不届き者が増えたのは高度成長のさなかである。
 
 歌謡曲「青い山脈」は1949年に池部良、原節子、木暮実千代が出演した「青い山脈」、「続青い山脈」として映画化された。後年みて、ストーリーは単純としても、しみじみと時代を伝える俳優が印象深い。
 
 自分でも意外だったのは、キャンディーズやピンク・レディまでも懐かしく感じられたことだ。彼女たちの踊りは一方で可愛さ、他方でセクシーという特長を保ちつつ踊りになっており、それなりに美しかった。令和のメイド喫茶ふう少女の踊りは、身体を動かしているだけで稚拙。河川敷で踊りの練習をする制服姿の女子中学生にも劣る。
 
 美空ひばりとピンク・レディが共演したとき、舞台の上で挨拶をしながら増田惠子(ケイ)が後ずさりし、そのまま舞台から転落したという話をミーが語っている。人気絶頂のピンク・レディを緊張させ、かしこまらざるを得ない美空ひばりの偉大さ。
 
 昭和の大歌手のもうひとりは石原裕次郎。「赤いハンカチ」、「夜霧よ今夜もありがとう」。映画「赤いハンカチ」は見逃しても、歌は聴き逃すなかれ。
小学校4年生のころみた裕次郎の映画「錆びたナイフ」で歌われた「砂浜の砂を指で掘ってたら まっかに錆びたジャックナイフが出てきたよ」。テレビが全家庭に普及していない時代、娯楽の王者は映画だった。
 
 昭和20年代〜30年代に生まれた人にとって昭和100年は通過点にすぎない。生あるかぎり昭和はつづくのである。

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