会話は自分や家族のことが主で、単純な内容だったが、映画や食事の帰り、車のなかでの語らいは冗談も飛び交い、話がはずんだ。昭和46年(1971)、二度目の「風と共に去りぬ」をみて彼女は「スカーレットはなぜバトラーを追わなかったのかな」と言った。最初にみたときもそう思ったらしい。
追わなかったから映画が成功していると言いたかったのだろうか。いや、そうではなく、あたしだって追わないよと言いたかったのか。
「バトラーになれない男は金と共に去りぬ」と男が言うので、「またまた、そんな」と笑った。満更、冗談でもなかったと思う。矜持を保つための金がなくなれば男は去るかもしれない。経済の話はしなかったが、一度だけ実体経済の話になった。「お金を儲ける、そして使う。実体経済はそんなものでしょう」と冗談めかして言うとヘンに感心されてしまった。
映画「ボッカチオ’70」にアニタ・エクバーグ、ロミー・シュナイダーほかの女優3人が太腿をあらわにするシーンが出てきた。男が「太腿は2本でいい」と言い、あたしは「5本か6本、見たいんじゃないの」とまぜっ返す。それを言うなら1本見せてくれと男はぼやく。
物語集「デカメロン」の作者でもある14世紀の詩人ボッカチオはダンテの「神曲」をイタリアで広めたといわれている。しかしボッカチオの死後、500年もの間ダンテは忘れられた。
デカメロンに興味があるわけでなく、ほかにこれといった映画は封切られておらず、ロミ・シュナイダーが出ているからみにいこうと日比谷へ行ったのだ。
「神曲」は高尚な文学ではなく、永遠の恋人ベアトリーチェを讃えた長大な詩だと彼は言った。あたしはベアトリーチェみたいに24歳で死なないぞ。永遠の恋人にもなりたくない。一瞬、一瞬に込められた熱意と真実が生きつづければいい。
高校生のとき「ローマの休日」をみて感動した。夢物語に感動する自分に驚いた。あんな小学校低学年以来の新鮮な気持ちだった。久しぶりに映画をみたのは大学4年の春、「風と共に去りぬ」だった。
男もあたしも洋画好き、そのころ一般公開される外国映画でおもしろそうなのはフランス映画、イタリア映画だった。
「ローマの休日」は秀作。オードリー・ヘプバーンの映画はその後みようと思わず、ヨーロッパ映画が下火となり、ヘプバーン主演の米国映画が再上映された時期があって「シャレード」と「おしゃれ泥棒」をみにいった。
「ローマの休日」のくりくりした可憐さはなくなっていたけれど、共演男優(シャレードはケーリー・グラント、おしゃれ泥棒はピーター・オトゥール)がよかったせいか、彼女の魅力満載で清々しい気分になり、映画街近くのホテルで食べるババロアがいちだんとおいしかった。
男に「贔屓にしている女優はいる?」と尋ねると、「高校時代はミレーヌ・ドモンジョだったけど、いまは特別‥」と言う。一人くらいいるでしょうと思ったが、それ以上問わなかった。
後日、「ドモンジョと言っても知らないだろう。マリー・ラフォレ知ってる?」ときく。「太陽がいっぱいでアラン・ドロンと共演した彼女」。いくらなんでもマリー・ラフォレは知ってる。
男は講釈を言わなかった。講釈は嫌いだと言ったおぼえはないのによくご存知で。講釈を言いたがる男は実行力に欠ける。実行力のない男とのデートはしみったれて貧乏くさい。女性を誘うには一定の金額を支払う覚悟が要る。覚悟のない男はふやける。ふやけていれば女房につけこまれ恐妻家に凋落。
恐妻はコメディ映画としては笑わせてくれる。でも現実生活となると避けたい、そう思いながら尻に敷かれ、にっちもさっちもいかなくなるのが恐妻家。ものおぼえがよくないのか、自分を恐妻家と思っていないところが恐ろしい。
あの男は記憶力抜群で、あたしの言ったこと、したことを、忘れてくれればいいようなことまでおぼえていた。嬉しくもあり、腹立たしくもあり。常にベストを尽くしていたようにみえたが、気づかせないように、いや、そんなことさえ感じさせないよう接してくれた。
70年代の傑作映画のひとつは「ひまわり」。顧みれば外国映画をたくさんみた。劇団・四季の「白痴」(ムイシュキン公爵を松橋登、共演は三田和代)も、来日公演のジルベール・ベコーやシャルル・アズナブールの歌、日野皓正、菊池雅章、笠井紀美子の楽曲も聴きに行った。ほかにも行ったが思い出せない。
各国の料理、名店へ連れて行ってくれた。あたしがどっさり食べるものだから驚いたと思う。彼がいなければ存在しなかったであろう数多の経験。使った時間とお金は決してムダにはなってないよ。あたしの栄養となって蓄積されている。
男との5年間、あれは何だったのか。あたしは彼にしか理解できない世界にいて、彼はあたしのわがままに根気よくつきあってくれた。あたしたちは世界を共有し、人にはわからないかもしれない共通のことばで心をかよわせ、お互いを確かめ合った。
百パーセント心が通じ合うという至高の体験ができたのは、彼が神がかっていたせいなのだと、はっきり断言できる。
人生は美しく自由であるべきはずだと、いつか彼が言った。あたしは彼を空気みたいだと思っていた。ふだんは彼のことなど忘れることもあった。彼を意識しなくてもあたしは自由。でも空気なしでは生きられなかった。
おさまりきらない怒りを克服し、感謝の気持ちを持ちつづけている。半世紀以上も昔のことなのに、なぜだか自分でもわからない。彼は百パーセント完全燃焼しただろう。「至高の体験」ということばが心に響いていると思えるからだ。ことばに込められた真実。それまでもそのあとも、あれほどの至高の体験はなかった。
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