2025/07/29    昭和の風景(十二)
 
 子どものころ吹く風は季節ごとの匂いがあり、夏の夕立のあと土と雨の混ざり合う匂いが立ちのぼってきた。匂いの記憶は何十年たっても残る。
 
 3月半ば、若草の匂いが風に乗って運ばれ、4月末、新緑の匂いがただよってきた。5月、初夏の新鮮な香りに立ち止まった。
6月半ばを過ぎると匂いはかき消され、7月、気の早いセミが鳴き出すと神社の木をめざした。樹皮の甘い匂いが夏の到来を告げる。
 
 水の入ったコップに朝顔を浮かせると色が溶けていく。薄紫、青、ピンクに色分けするのがたのしみ。
8月はビワとスイカの季節。祖父の畑のビワをもぎとって皮をむく。硬くて大きな種が歯にあたる感触は独特。種の表面についている実を歯でえり分けて食べる。木なりのビワは熟し、格別。
 
 スイカはたらいに水と氷屋で買った氷を入れて冷やす。スイカを切るのは祖母だったけれど、父が切ったこともある。一刀両断とはこのことかと思えた。清涼飲料のない時代、スイカは夏の清涼飲料だった。
 
 畑のイチジクは、やわらかく分厚い白皮(皮ではないが)も、ねちゃっとした実の感触も苦手だった。イチジクもいつのころからか高値で推移し、高級フルーツなみ。昔は庶民の果物だったのに。
 
 9月、秋分の日に畳干しをする。晴天で空気も乾燥しているからだ。祖父と父が畳をはずし、庭表に立てかけた畳を細い竹の棒でたたく。たたくときは小生も手伝った。表替えして間もない畳はたたくと良い匂いがする。ワラは経年変化するが、畳の裏は青く、たたかれることによって匂いの発散量が増すのだろう。
 
 家も車も少なく、近辺に田畑や鎮守の森が多くあった時代、路地をわたる風は良い匂いがしてさわやかだった。住宅やビルが増え、空気も汚れ、食生活の激変とともに少女の芳しい匂いも消えた。肉と脂濃いものばかり食べてちゃいけませんよ。
 
 10月、コスモスがいっせいに咲き始めると微かな香りが運ばれ清々しい。澄みきった青い空を見上げ、胸いっぱい空気を吸った。「おいしい空気はごちそう」と誰が言ったか思い出せない。昭和40年代になってその意味がわかった。
 
 11月はたき火とサザンカ。歌の文句にあるじゃないか、「サザンカ、サザンカ咲いた道、たき火だたき火だ落葉たき」。師走は誰もが忙しく活動する。11月の寒い日曜、枯葉を集めて燃やす。晩秋は寒く、暖冬異変もなかった。枯葉の燻る匂いが鼻先に残っている。たき火をする場所がなくなり、思い出だけが残っている。
 
 12月は金柑。実は酸っぱいので皮を食べる。祖父が火鉢の灰に金柑をもぐりこませ、適度にやわらかく、温かくなったところで皮を食べていた。明治の人にビタミンCという考え方があったかどうか知らないが、父祖代々の慣習だったのだろう。。
祖母は味噌汁にウスアゲときざみキャベツを入れ、キャベツがやわらかくなるまで煮る。胃弱の祖父は消化によくないものを避けていた。
 
 2017年4月、現在の住居に引っ越した。小生は住み慣れた場所と同じように和室もほしかった。畳のない暮らしは思案外。2010年以降、和室付き分譲マンションは著しく減少したが、2006年から分譲マンション探しを続けていた伴侶が恰好の物件を見つけてくれた。
 
 昔の人は「畳の上で死ぬ」ことにこだわった。高齢化と病院増加により畳の上で死ぬ人間は減り、病院のベッドで亡くなる者が多くなった。畳文化も大きく後退した。
昨年秋、前日まで元気に仕事をしていた伴侶の弟は朝になっても起きなかった。1ヶ月後、彼の長男が訃報を知らせてきた。医者が死因を特定できず検死に7日かかり、報告がおそくなったそうだ。旅立った弟は67歳、特養老人ホームで暮らす伴侶の母はことし97歳。一番のたのしみは伴侶の訪問、二番目は伴侶が持参するおやつ。

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