2025/02/21    どうにもとまらない
 
 「うわさを信じちゃいけないよ」で始まる山本リンダの歌は、「ああ蝶になる、ああ花になる(中略)もうどうにもとまらない」で終わる。1972年、彼女がテレビで歌ったときは、大胆な衣裳(ヘソ出しの真っ赤なシャツと黒いパンツ)に度肝をぬかれた。
当時の踊りは勢いよく身体をくねくねさせているだけで稚拙というほかなかったけれど、歌謡界に新時代が到来したと思えた。大胆な衣裳を考案したのは彼女自身である。
 
 作曲した都倉俊一は稽古のさい山本リンダに唸って歌えと指導。彼女が唸ってもまだ足りない、もっと唸れと何度も言った(山本リンダがテレビ番組で語っている)。
デビュー当時、山本リンダの歌い方はデビュー曲「こまっちゃうな」(1966)のような舌っ足らず。しかしそれは15歳という年齢を考えると、意図的にそういう発声をさせたのかもしれない。舌っ足らずで歌わせるという狙い。
 
 「どうにもとまらない」の翌年(1973)に「狙いうち」がヒット、甲子園の高校野球で応援歌の定番となる。バッターの狙い打ちに重なったのだ。後年、ピンクレディ、世良公則など派手な振りで歌う歌手の先駆けは山本リンダであり、いわゆるアクション歌謡の元祖。
 
 それから何年たったろう、50代後半か60代前半の彼女がテレビ出演し、「どうにもとまらない」を歌った。さすがにヘソ出しルックではなかったけれど。30数年の時間はおおいなる変化をもたらす。
歌も踊りも格段にうまくなってビックリ。なにより驚いたのは、20代前半のころと較べて身体のキレがよくなり形が整っていること、激しい踊りなのに足がもつれていないこと、踊ったあとも息が乱れていないことだった。体幹がどうのとか肺活量云々は関係ないだろう、山本リンダは新体操やスピードスケートの選手ではない。
 
 1970年代後半から90年代後半、家族の不幸と、売れなくなった芸人のみじめさを経験した。どさ回りは地方の公民館やキャバレーよりむしろスナックが多かったという。着がえは楽屋ではなく狭くて汚いトイレでおこなった。
売れないまま現役を続行するのは苦痛だったろう。ふつうなら引退を考える。しかしそうしなかった。ステージに立たなくても、テレビに出なくても芸をみがき、歌をみがき、踊りを鍛えることはできる。そう思っても続けることの難しさ。
 
 ヒット曲を飛ばした歌手が第一線からすがたを消して数十年、箸にも棒にもかからない歌手が続出し、現在も消耗品のごとく次々出現する。歌唱力のない、口先で歌う自分を恥ずかしいと思わないのだろうか。
 
 斉藤由貴、薬師丸ひろ子、岩崎宏美など50代後半〜60代半ばで全国ツアーをやって活躍中の歌手はいる。歌唱力、美しい声も昔年に較べてさらに上達し、特に斉藤由貴が松田聖子を歌うと本家も真っ青になるだろう。
歌は心の発露であると納得させられる。岩崎宏美の美しく伸びのある声は折り紙つき。薬師丸ひろ子はバックバンドとの息も合いすばらしい。全国ツアーをしておらずともマルシアの歌唱力もおとろえていない。
 
 山本リンダは70歳を過ぎて現役続行し、出演機会がめぐってくれば登場する。健康管理に自信のない人間には想像すらできない世界。同年代の小柳ルミ子は現役続行しているが、歌唱力は落ち、激しい踊りもしていない。年長の由紀さおりは階段を降りるときのよたよたを隠せない。70を過ぎると足腰が弱くなる。その年齢になればわかる。
 
 先日(2025年2月19日、BS日テレ局の歌謡番組(太川陽介司会)のゲストに山本リンダが出ていた。去年かことし録画したように思える。「どうにもとまらない」と「狙いうち」を歌った。久しぶりに見るので注目した。
70代前半で、かかとの高い靴をはき、動きの激しいダンスを踊っても平静でいるように見えた。若いころの体形を維持していること、身体の軸がぶれていないこと、アグレッシブでメリハリの利いた歌い方に目を見張った。
 
 歌いながら動きの多いダンスを踊って呼吸が乱れず、視聴者を惹きつける代表格は郷ひろみ69歳。郷ひろみの踊りは20歳以上年下のバックダンサーより巧みな動きをして魅了される。
郷ひろみと山本リンダのヒット曲はパンチ効果とリズム感を両立するのが難しく、他者が歌っても拙さが浮き立つ。日々トレーニングを積んでいるとしても、年齢だけをいえば山本リンダはミラクル。何が彼女をそうさせるのか見当もつかない。

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