子どものころ、どこの家庭にもあった風呂敷。大きさはまちまちで用途によって使い分ける。遺体を包めるほど大きい風呂敷もあり、小学生低学年なら包み込んで背負っていける。なかで暴れても猿ぐつわをはめられていれば、昔のことだ、子ヤギを運んでいるくらいにしか思わないだろう。
子どもを誘拐して売り飛ばす輩は「子とり」と呼ばれ、近所でいたずらをして「子とりがくるよ」とまことしやかに言われると恐ろしかった。「言泉」で「風呂敷」を引いたら「入浴の際、衣類を脱いで包んだ布」と記されていた。
昭和30年代初め、小学生低学年の遠足、リュックサックの生地は草色で兵隊が持つような丈夫な布製だった。貧しい家庭の子はリュックサックを買ってもらえず、弁当を入れた風呂敷を首に巻いており、その巻き方が巧みで、家に帰って巻き方を祖母に尋ねたがわからずじまい。風呂敷を畳に置き巻き方を研究したけれどできなかった。
中学生になったころ、ナップサックが売られはじめる。リュックサックより現代風な感じがして、貯めていたお年玉で買った。しかし素材が薄く、作りもちゃちで、中で弁当や水筒が暴れる。次の遠足はリュックサックにもどった。
昭和30年代初期で忘れられないのは年2回、春と秋にやって来た富山の薬売りだ。明治18年生まれの祖父母の時代、町に薬局はなく、富山からの行商人が飲み薬、貼り薬などを一軒一軒訪ねて売りにきた。
置き薬といって薬を各家庭に置いていき、使われたものだけ勘定するシステム。薬売りはただ販売するだけではなく、老人の悩みもを真摯に聞き、助言し、励ます。
薬売りはおおむね午前中に来るので出会うことがなかったけれど、孫の土産に紙ふうせんを置いてゆく。図柄と色づかいに夢があり、手のひらにのせてポンポンと宙に上げて遊んだ。
ある日、休校だったか振替え代休だったかで家にいたことがあり、そのとき薬売りがやって来た。話には聞いていたが、いでたちに目を見張った。着物の裾をはしょり、羽織を着て、脚絆(きゃはん)、草履(一昔前までは地下足袋)。衣裳の色は紺か焦茶か思い出せない。時代劇映画そのままにカッコよく、颯爽としていた。
見るからに誠実で明るく、薬の説明より四方山話に時間を割き祖母の笑いをさそう。玄関先で大きな風呂敷を広げ、厚紙に祖父母が持っている薬を並べ、四角い柳行李(やなぎごうり)から数種の薬をその横に置き、使われた薬だけを入れ替える。柳行李の中にまた柳行李、その中にまたという具合に4段か5段構えになっていたような記憶がある。
それが富山の薬売りを見た最初で最後だった。町に薬局が開店しはじめ、薬売りを頼っていた老人もいなくなった。安物っぽい色柄の紙ふうせんを売っていた駄菓子屋もすがたを消した。
薬売りが持ってきたステキな紙ふうせん、好人物の薬売り。周囲が良い人ばかりで、それに較べてわが身の至らなさを反省した時代。時の経過とともに至らない人間が激増し、自分の至らなさを意識しなくなった。古き良き昭和が懐かしい。

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