2024/12/01    花影(はなかげ) 真実の扉
 
 70歳半ばになってもいまだに知識、教養重視の人生を送っている人たち。有名大学出身で、趣味は美術鑑賞、美術館の情報収集。テレビの視聴は教養番組。
ドラマや映画をみても作中にでてくる歴史上の出来事に目が行き、学習意欲満々で、ドラマがもたらす感動には興味を示さない。あるいは知性が邪魔して感動を表現しない。学生時代から変わりなく半世紀経過し、あの世でも教養と一緒に暮らすのだろう。
 
 そういう方々の気持ちを推しはかるのは苦手なのだが、あて推量で言うと、高齢となっても知識や経歴にしがみつき、書や絵画、焼物などをたしなむでもなし、植栽に入れ込むわけでもなし、木工、彫金などの技を持っているのでもない。何かにしがみついていないと落ち着かない、もしくは自分の存在を確認できない。
 
 思いおこせば、美術鑑定士か学者になるような勢いで美術館へ足を運んだ人も結局、そういう道に進まなかった。その道に進んだのは1年先輩で大学院美術史学科修士課程をへて日本民芸館に在籍した尾久(おぎゅう)彰三さんだけだったのではないか。
大学院修士課程で日本美術史を研究したが、家業の窓ガラス店を継いだ人もいる。夢中になって取り組み、そういう時代を過ごしたから得心がいっているのだろう。
 
 学生時代、交流を深めた女性は小生に対して教養、知識を求めなかった。本格的に交流がスタートする前は三島、太宰、福永武彦、加藤周一などの著書を交換した。加藤周一が述べているように、「人生はボードレールの詩の一行に若かないのかもしれない。しかしボードレール全集もまた、愛する女との一夜に若かないだろう」。これは比喩ではない、実情である。
 
 交流がはじまって半年、ラ・トゥール(1593−1652)やスーチン(1893−1916)、佐伯祐三(1898−1928)などの特別展が都内の美術館で開催され、油絵を習っていた彼女とのデートは主に美術館。レンブラントやベラスケスの絵を現地でみた経験のある小生はラ・トゥールなんてたいしたことはないとタカをくくっていた。
 
 ラ・トゥールの画は、レンブラントの肖像画のように絵の具をたっぷり使って人物を精緻、克明に描いていないけれど、人間の内奥を表現し、みる者に訴えてくる迫力があった。
ちょうどそのころ、「冬の闇 夜の画家ラ・トゥールとの対話」(田中英道著)が刊行され、ラ・トゥールのことが知りたくて購入。名著だった。ラ・トゥールの描いた光と闇に勝るとも劣らない多彩な表現、深さにみちていた。
 
 スーチンでおぼえているのは静物画グラジオラスだけだ。花瓶のグラジオラス数本の朱色は絵なのにほんものの花より生々しく見えた。子どものころ、祖父の畑のグラジオラスは黄昏の薄闇のなかで色あざやかな朱色を保っており、早朝のアサガオ、炎天下のヒマワリより記憶に残っている。
 
 佐伯祐三のパリは家も壁も暗く、人間も陰気だった。しかし先達の日本人洋画家とは異なる独特の色遣い、暗さに感嘆した。ある日、どこの美術館だったか、ルネサンス期の絵画を展示していたのでみに行った。りゅうとしたダークグレーのスーツを着こなし、額縁ぎりぎりまで顔を寄せ、穴のあくほど絵を見つめている男性がいた。「高階秀爾よ」と彼女がつぶやいた。
 
 デートの相手は、薄暗い路地に咲いていても目に飛びこむ色とりどりの夕顔のように、逢う時々で青、紫、白、ピンクと表情ゆたかで魅力的。明るい人なのだが、スーチンのグラジオラスの激しい朱色を秘めていると思えた。美術館で買ったスーチンの目録裏表紙に彼女は互いの名の頭文字「M&F」を記し、「メゾフォルテ」と言った。
 
 昨年の初めから昔の歌番組をみる機会が増えた。バラエティ番組はハナからお呼びじゃないし、つまらないドラマばかりで、昔ダビングした外国映画・ドラマを連日みている。リアルタイムでみるのは往年の歌手の歌謡番組。そのなかにまじって印象深い現役歌手が、歌唱力、発声とも視聴に値する薬師丸ひろ子だった。
 
 「戦士の休息」はメロディだけ聴くとたいしたことはない。テレビ画面に流れる歌詞をみると印象は異なる。「男は誰もみな無口な兵士。笑って死ねる人生、それさえあればいい」。
薬師丸ひろ子が「セーラー服と機関銃」で女優、歌手としてデビューしたのは1978年、記憶がまちがっていなければ14歳ではなかったろうか。「セーラー服と機関銃」って何だ。映画はお世辞にも良いとは言いがたい。歌を聴くと新しい時代が到来したと感じた。
 
 「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束 夢のいた場所に未練残しても 心寒いだけさ」。原曲は来生えつこ作詞、来生たかお作曲の「夢の途中」。「スーツケースいっぱいにつめこんだ 希望という名の重い荷物を 君は軽々ときっと持ち上げて 笑顔を見せるだろう」
 
 知識を身につけて前へ進み、いくつかの門を通り抜けていっても、くぐらせてくれない門がある。門番がもう一度最初の門から出直せと頑なに拒否する。その後、経験を積んでやっと通行させてくれ安堵したのも束の間、分厚い扉が行く手を阻む。がんばったのだから開けてくれと叫んでも扉は閉ざされたままだ。
 
 お前が学んだ知識に真実はない。知識をどれだけ身につけても百科事典に勝らない。百万の知識を得ても半人前だ。小生は知識にしがみついたことなんかない。知識を振りかざす人間は嫌いだ。門番は小生を誤解している。そう叫びたかったが声にならない。
扉は言った、高校生までに大学4年間の知識を得、30代前半までに一生分の知識と経験を得たという傲慢さを感じる。その傲慢さゆえに真実の扉は開かれないのだ。若いときに経験し、いま経験していることのなかに真実がある。
 
 知識や知恵では解決できない経験をしたことがあるか。出口のないトンネルに閉じ込められ、一条の光も見いだせず苦しんだことがあるか。子どもの将来に希望を持てず悩んだことはあるのか。
不治の病にかかり心が折れたことはあるか。家族が亡くなったとき、あるいは崖っぷちに立ったとき、人知の及ばざる力がはたらくと思え。真実の扉はそういうときに開かれるのだ。
 
 歌謡曲「秋桜」の歌詞。「このごろ涙もろくなった母が 庭先でひとつ咳をする 縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を 何度も同じ話をくりかえす」。「秋桜」の母は70歳を過ぎたわたしたちだと思えた。
 
 経験していることのかけがえのなさに気づかず、長い長い時をへてようやく気づきはじめる。そのとき初めて真実の門の扉は開かれ、その後、扉は閉ざされることはない。若かったころ、花を花と気づかないまま時間は経過した。花は身近にあった。そしていまも咲いている。

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