2024/05/03    渋谷 フランセ
 
 お茶も飲んだしケーキも食べた。ケーキは決まってイチゴのショートケーキ。スポンジがきめ細やかでソフト、生クリームは特においしかった。都内の有名ケーキ店を方々探索し、ショートケーキを試食したけれど、フランセに勝る味はなく、甘党の渡辺(渋谷の同じ下宿)とも何度か食べに行った。
 
 あれは昭和43年(1968)11月のうそ寒い夕方、渋谷駅・二子玉川行バス停だった。「井上さんの下宿、行っていい?」とささやかれたのは。その女性は同じ大学の同学年、同好会の所属班は異なったが、時々山手線「高田馬場駅」のホームとか車内で出くわし、渋谷で降りて別れるという間柄。
 
 4月、新入生歓迎旅行で甲府へ行ったとき、やけに垢抜けした人がいると思い、記憶に残っていた。ひと夏をほとんど海で過ごした8月下旬、奈良合宿で顔を合わせた。真っ黒けの男と対照的に品があり、洋服の着こなしも物腰も何かちがう、良家の子女独特の雰囲気をほのかに発している。
 
 9月、そのころ頻繁に行動を共にしていた堀岡と同好会の野球大会をしようと発案、球場選びをはじめた。彼が心を寄せていた女性の住む品川区民球場ということになって何の連絡もせず自宅を訪問。昼寝中の彼女はお兄さんにたたき起こされ不機嫌そうな顔で庭先へ出てきた。
開口一番、「ミサコに頼めば」と、けんもほろろ。で、世田谷のミサコさん宅へ、相手の都合もきかず二子玉川まで行き、家への道順をきくため堀岡が電話。顛末に興味のある方は「書き句け庫」2006年3月7日「庭園班OG(1)」を。
 
 10月末の寒い日曜におこなわれた世田谷区民球場・野球大会が終わって数日後、高田馬場からの車内で会い、渋谷で別れようとしたとき彼女が「行っていい?」と言ったのだった。晩秋の木枯しに後押しされたのかもしれない。突然のことで一瞬返事に窮したが、「女人禁制なんだ」と出まかせを言った。ウソと見ぬいてもクチに出さず、明るい調子で「寒いね」と言う。
 
 彼女の「寒いね」は、表情も言葉の響きも、そのまま別れるのが惜しいほど魅力的。バス停と反対側の映画館ビル2F喫茶店「フランセ」へ入って、ショートケーキと紅茶を注文した。
彼女は高校まで田園調布雙葉という選りすぐりのお嬢さん学校へ通っていたから渋谷でお茶する機会はなかったか、あったとしても、おそらくわずかな回数だろう。大学下校時、ひとりで喫茶店に入ることはなかったのではないだろうか。
 
 新鮮な体験と思えるが、いつも渡辺と一緒だった小生にとっても新鮮。ほんとうの良家の子女は物怖じせず利発、自然体で接する躾を受けている。まさしくそういう風で、話は弾み、たのしかったこと。ほとんど思い出せないけれど、「井上さん、どんな子どもだったの?」と問われたのはおぼえている。
 
 次の問いは「多彩な少年時代?」。質問というより確認めいていた。そう言われても、ほかの子どもと同じように畑でトンボやチョウを待ち伏せし、空き地、川、池、神社の境内で遊んだことしか浮かばない。
やさしい祖母が家事をやっていたのでそれなりに暮らしは回っていた。悩みの種は両親の諍いが多かったこと。若干の出来事がアタマをぐるぐる巡ったのだが、たぶん話さなかった。
 
 酒を一滴も飲めない母は賑やかな宴会が好きで、しょっちゅう自宅座敷(一般家庭に較べて座敷が広かった)で宴会をおこなう。既婚独身を問わず多くの男女が酒を飲み、サカナを食べ、歌い、上を下へのドンチャン騒ぎ。終電に間に合わず泊まっていく者もいた。
宴席外の交際に流れる男女がいて、トラブルに巻き込まれた父は迷惑千万とぼやいた。小生はそういう集まりを嫌っていたのだが、母は「あなたも一緒に歌っていた」と言う。何が何だか、どちらの記憶が正しいのか。
 
 国立大学大学受験日の1ヶ月半前、昭和43年1月中旬から祇園花見小路の元置屋の2階に下宿していた。舞妓・芸妓、お茶屋の女将が毎日、1階の女性大家を訪ねてくる。華やかで艶やかだった。ドンチャン騒ぎと花見小路。ふつうの家庭にはない体験をしたのが多彩ということなら、何かをミサコさんは感じとったのかもしれない。
 
 野球大会当日、応援にかけつけた彼女の温かそうなブルゾン。色白で肌がきれいな彼女に黒は似合う。魅惑のカクテル。そういう人だった。お互い恋愛感情は持たなかったように思う。かえってそのせいで何年たっても好感だけが残る。
 
 「ケーキ、おいしいね」。クチに合ってよかった。彼女は聞き上手、話し上手でムダな会話をせず、会話の調べもあたたかく心地よい。瞬時に2時間経過した。
昭和32年(1957)創業の渋谷フランセは平成18年(2006)12月末閉店した。追懐すると時間は止まり、思い出が人間を美化する。時間の止まったものだけが美しい。

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