2026/07/24    本を読む(1)
 
 高校1年の夏休み、国語の宿題は百人一首をぜんぶおぼえることと、「虞美人草」を読むことだった。百人一首には惹かれたが、虞美人草は、甲野さんと宗近君のせりふの羅列で、理屈の多さ、気取った文章に呆れた。「高等遊民」ということばは自嘲で冠したのではなく、自分でそう思っていたのだろう。めでたい。
 
 興味を持てたのは比叡山と琵琶湖の描写だけだ。「暗夜行路」の伯耆大山と米子の描写にはやや劣るが、山と湖の壮大さが伝わる名文。
藤尾は小生意気な女で、小夜子は影の薄い女。藤尾と小夜子のような女しかいないなら世も末である。ロンドンに滞在していた漱石はスコットランド旅行に出かけ、ピトロッホリーに逗留した。自尊心が強かったせいか自分の殻に閉じこもる。
 
 森鴎外のように海外で女性との交流経験があれば、その後の漱石作品に幅と潤いができたろうけれど、漱石は消極的で行動力は乏しく、観察するだけの、おもしろみのない男。そういう男は藤尾にも小夜子にも惹かれるのかもしれない。
 
 そんな漱石なのに、父が「明暗」はよく書けていると言い、「それから」、「彼岸過ぎまで」、「こころ」、「明暗」を読んだ。「虞美人草」と「こころ」や「明暗」の差は歴然としており、同じ作家のものとは思えなかった。分裂症気味で統一性のない男が授かった文才。
 
 虞美人草は事象の表面を描く気取った小説。気取っているのはインテリの特徴なのかもしれず、読むに値しないが、「明暗」は人間の懊悩を探り、生の問題を投げかける。高校生でもそういうことは理解できるのだ。
高校生ならこの程度と固定観念を持ち、出来の悪い作品を薦めた国語教師の想像力の低さに寒心した、と感想文に書けば、「藤尾より生意気だ」と激怒し、走れメロスになっていたろう。
 
 高校時代は内面を見つめるから「明暗」を読めたが、中高年になると重苦しくて読めない。胃もたれ覚悟で読むなら問題ないが。明暗の明はどこにあるのか。明は「坊ちゃん」でお終いにしたのか。おもしろみのない男が書いた唯一のユーモア小説「坊ちゃん」。
 
 高校1年の英語の授業は教科書(開拓社)が週2、英作文も週2、サイドリーダーのロビンソン・クルーソーが週1、アリシアの日記が週1の編成だった。それぞれの担当教師は別々、思い出に残っているのはロビンソン・クルーソーの島内。東大英文科出の島内は太鼓腹でハゲちゃびん、常に肩ベルト付きズボンをはいていた。普通の腰ベルトはしんどいのだろう。
 
 島内が教材として生徒に買わせたのはダニエル・デフォー作「ロビンソン・クルーソー」第2部(難破〜孤島生活)の原文、18世紀の古典英語。あんたの母校の英文科専門課程で使う難解な英文だよ、東大京大の入試問題でもこんな文章は出てこない。出題しても訳出できない。訳本も出版されていない。クラスメイト全員、島内の授業は暗い顔をしていた。
 
 高校2年で読んだのは小林秀雄。「無常といふ事」、「新潮」に連載中の「本居宣長」、「様々なる意匠」、「ゴッホの手紙」など。小林秀雄は「かもしれない」というような曖昧な表現をしなかった。すべて断言調。よくもわるくもそれが魅力だった。文芸評論という分野を確立したのは小林。
 
 高校3年は加速度的に過ぎ、大学に入って読み始めたのは太宰治、三島由紀夫、そして加藤周一。太宰作品では「斜陽」、「人間失格」のような暗いものは好みに合わず、「富嶽百景」、「女生徒」、「東京八景」などの明るい作品を選んだ。
 
 三島由紀夫を初めて読んだのは「金閣寺」だったと思うが、「夏子の冒険」に「女生徒」と同質のものを感じ、太宰と三島は陰陽ではないかと思えた。三島の作品はすべて読んだ。最も印象に残ったのは「豊饒の海」4部作の第1部「春の雪」だった。「豊饒の海」について多くのアマチュア批評家がごちゃごちゃ書いているのは小生も承知している。
 
 だが、ほとんどが批評のための批評。「春の雪」のたぐいまれな海の表現は三島にしかあらわせない奇跡の海である。批評するなら、自分ならどう書くか、三島と同等の表現ができるかどうかを考えて批評せよ。
 
 大学3年のころ、交流のあった女性がジャン・グルニエ著「孤島」を勧めた。グルニエの名も、彼がA・カミュの師であることも知らなかった。「孤島」はエッセイの名作で、著者の豊かな感性がそのまな文章に表現されており、グルニエの著作を買い集めた。
「孤島」、「アルベール・カミュ回想」は井上究一郎の名訳により堪能した。だが、「地中海の瞑想」、「Xの回想」、「エジプト便り」は翻訳者が異なり、グルニエの文章を生かしておらず読み応えがなかった。翻訳者の腕は作品に影響する。
 
 そのころ加藤周一の「羊の歌」を読み、自身を率直に語っていることに感銘を受け、以来、加藤周一の著作はすべて読んだ。
加藤周一が平安期を語れば平安時代にいる気分となり、室町時代ならそこに束の間滞在する気分になった。しかし、戦中を加藤周一が語るときだけ時代を離れた。戦中を語る彼の気持ちが乗り気ではなく、読む側も乗り気にならず、読み飛ばした。
 
 「羊の歌」で女性ふたりのどちらかを加藤周一が選ばなければならなくなったとき、相手のひとりが、どちらかに決めればふたりが不幸にならずにすむと言い、それが決めてとなったらしい。さもありなん。卑近なことがらを書かないのがインテリだと思っているバカにつける薬。
女性との個人的交流を著述する作家とめぐりあい、評論家はお高くとまっているか気取っているかという概念を払拭してくれた。自分にふりかかる難儀や滑稽と向き合うすがたも書くからこそ読者をひきつける。
 
 その後何年もたって加藤周一を詩仙堂で見かけた。昭和56年(1981)か57年。3週間のあいだに2度も会うのが不思議で調べたら、当時、加藤周一は立命館大学の客員教授をしているとわかった。そのときの柔和な笑顔が忘れられない。
 
 大学3年後半以降、読書する時間がとれなかった。勉学に励んだのではない、デートで忙しかった。毎週どこかへドライブするか、映画をみるか、観劇するか。ジルベール・ベコー、シャルル・アズナブールなどフランス人歌手の公演も行った。
 
 登場人物が多すぎて、だらだら展開するストーリーに辟易し、ドストエフスキーにはまったく興味はなかったが、1970年、日生劇場で公演していた劇団「四季」の「白痴」をみに行った。
どういうストーリーか、手っ取り早く知るには舞台。新人・松橋登のほっそりした体型がムイシュキン公爵のガラに合い、28歳にしてベテラン女優の風格をそなえた三田和代の好演が記憶に残る。
 
 時間がとれない中で読み進めたのはシルクロード、中央アジア、西南アジアに関する史書だった。司馬遷親子が編纂した「史記」上中下、「漢書・後漢書」、「大唐西域記」、「洛陽伽藍記」(いずれも平凡社刊)、松田壽男著作集、ヘディン著「ゴビ砂漠横断」、同「さまよえる湖」、スタイン著「中央アジア踏査記」、樋口隆康著「西域紀行」、「シルクロードを掘る」、「ガンダーラの美神と仏たち」など。
 
 しばらくのブランクがあって、30代になって気持ちが読書に向かったのは開高健と堀田善衛の著作が痛快だったから。開高は言う、「その町の娼婦の値段は紳士靴とほぼ同じである」。
ベトナム戦争で新聞社のカメラマンに同行し取材もおこなう行動する作家。熱心な釣師・開高はテレビ局の依頼でスコットランド、アマゾン、蒙古を訪れ、釣りに没頭した。
 
 世界を歩いた開高健のエッセイ、旅行記はぜんぶ読んだ。艶っぽい話をときおり織りまぜ、おもしろかった。サントリーに勤めていた開高は、イラストレーターの柳原良平と組んでキャッチコピーを世に出す。「人間らしくやりたいな」は有名。
佐治敬三を「大将」と呼んでいた。世間が認めるほど開高の才能を佐治敬三が評価していたかどうかわからない。ワンマン経営者は傲慢だから。
 
 次に耽読したのは堀田善衛。ヨーロッパの事情に精通した堀田善衛は、1968年の「プラハの春」をめぐってソ連を痛烈に批判する。日本の文壇にも骨のある作家がいると心強かった。
「ゴヤ」の画をみるためマドリッドのプラド美術館へ行ったのも、堀田善衛の大作「ゴヤ」を読み、影響を受けたからである。それよりずっと前、「インドで考えたこと」(岩波新書)に始まる一連の著作は、日本文学の知名度を国際的に広める役割を担う。「インドで考えたこと」は、1970年代、インドに関心を持つ人の必読書だった。
 
 堀田善衛は「ゴヤ」、「方丈記私記」、「カタルーニャ讃歌」、「ミシェル 城館の人」、「バルセローナにて」などの名著を数多く残す。ミシェルは16世紀フランスのミシェル・ド・モンテーニュ。堀田はゴヤ執筆中はスペインに住み、「ミシェル 城館の人」草稿時はフランスで暮らした。
 
 ゴヤ、ミシェル執筆のさい堀田の私生活も綴られ、作家の本懐は文章を練り上げ完成させるだけではなく、私生活を盛り込み、作品を読者と共有することだと思えた。
伝記は他者の人生を伝えるだけでなく、著者自身の伝記でもあり、読者はそういうことにも反応する。著者が存命ならなおさら。堀田善衛の生前、著作をすべて読了した。買うなと言われても買う作家のひとりだった。
 
 40代は歌舞伎関連。特に読んだのは演劇評論家・渡辺保の劇評だった。彼は毎月「歌舞伎座」に足を運び、リアルタイムで自身の運営するウェブサイトに劇評を掲載した。歌舞伎評論家はほかにもいるけれど、渡辺保の評を読むと心が踊った。ウェブサイトなら厳しいことを書いても松竹からの圧力をパスできる。
 
 渡辺の単行本でとりわけよかったのは、「女形の運命」、「忠臣蔵 もう一つの歴史感覚」、「黙阿弥の明治維新」、「娘道成寺」、「仁左衛門の風格」(十三代目片岡仁左衛門)。
歌舞伎は舞台でみるものだが、みた後に渡辺保の劇評を読むと、そうか、あそこはそういうふうにみるのかと理解度が深まった。文章の達人はかくあるべき。渡辺保の単行本もぜんぶ購入して読んだ。
 
 「本を読む」は思いのほか長くなりそうで、いったん休憩して続ける予定です。

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