老齢となっても元気を失わないのはよいことだ。健康に見離され7年が過ぎた。人はおおむね70歳を過ぎると耄碌しはじめる。外見は年齢より若く見えても疲れやすく、疲れると回復に時間がかかる。回復してもすっきりしない。記憶力はおとろえ、直近のことをすぐ忘れる。
頭の回転はどうにか保っていても、忘却はいかんともしがたい。老朽化した車のエンジン同様、身体の動きが緩慢となって、ぎしぎし音を立てる。
老いを自覚して、それなりに注意すればよいものを、いつまで40代をやるのか自戒しない。耄碌したのだと自分に言い聞かせ、同じ過ちをするかもしれないと注意すればなんとかなる。1年に同じ失敗を3度くり返すようになるとヤバい。いちいち数えないから何度目か忘れる。
高齢者が気をつけることは、一に高をくくらない、二に耄碌を自覚する、三に毎日カラダとアタマを使う。
他者は老人に対して年寄りだという印象を持つ。年寄り扱いされるのはイヤなので非老人を装ってもダメ。相手の目に「この人、年寄り」と書いてある。老人が自分の年齢を忘れて、同じ年代の老人を年寄り扱いすることもある。世の中、老人だらけなら暗い雰囲気に満ち、さぞつまらないだろう。
1989年7月、ドイツで温泉巡りをした。フランクフルト空港でハーツのレンタカーをピックアップ。バーデン・バーデンで3泊し、バーデン・ヴァイラーで2泊。バーデンは温泉の意かと思っていたが入浴の意らしい。バーデン・バーデンの宿「ブレナーズパーク・ホテル」は老いも若きも取り混ぜて存在し、朝食レストランは40代、50代が多く、野外音楽堂の無料コンサートは老若男女でにぎわっていた。
黒い森(シュバルツヴァルト)に佇む隠れ家的ホテル「ローメルバッド」に関しての情報は当時、日本で入手困難、あちこち調べ回って、「ヴォーグ誌」に掲載された記事を発見。「黒い森に18世紀の面影をいまに残す夢のホテル。ここに宿泊できる人に嫉妬の念を禁じえません」。日本の雑誌ならこういう記事を真に受けないが、ヴォーグならだいじょうぶ。
ローメルバッドにチェックインした。フロントの女性は30歳前後だったが、コンシェルジュは初老男性。ベルボーイは中年。そこまではよかった。夕食後、ホテル近くの野外音楽堂でおこなわれるコンサートに行く。ぞろぞろ集まってきたのは全員老人。
そのうち30代とか40代が来るだろうと思っていたが、次ぎもそのまた次ぎも老夫婦。ほとんど70歳以上と思える。野外音楽堂に集まった約500名のうち30代ひとり(伴侶)、40歳(小生)ひとり、残りはすべて老人。野外老人音楽堂。
音楽堂は灰色の陰気な森に囲まれた。いや、そうではなく、墓地から脱けだした亡霊の集団というほうが適している。違和感とやりきれなさが押しよせ、ただちにホテルに逆戻り。あとでわかったのは、バーデン・ヴァイラーはドイツの年金生活者御用達の温泉保養地。
彼らはホテル「ローメルバッド」に宿泊していないが、夜がくると徘徊する。ヴォーグの記者よ、宿が快適と書くなら、周囲の森は老人が大勢さまようと書き加えなさい。そうとわかっていればバーデンヴァイラーには泊まっていない。
記憶は遡る。あれは昭和50ごろだったろうか、神戸元町の「川北外科」に入院していたのは。ある日、奈良の総合病院のオーナー・N院長が前触れもなく見舞いに来た。病室(個室)に入るなり「失礼するよ」と下腹を数度押さえ、「だいじょうぶ」と言って踵を返す。突如あらわれ、病気をいやし、あっという間に消えた神のごとし。N先生が去ったあと不意に涙がこぼれた。
それから2年か3年たって、N院長の病院に母が入院していたとき、「院長回診が始まります」という院内放送があり、10秒か20秒後N先生が病室に入ってきた。首に聴診器をぶら下げ、白衣の両手を腕まくりして。
そのいでたちは医者に対する印象を一変させた。あんなに恰好よい医者を見たのは最初で最後である。
精密検査によると眼病は悪化しており、「腕のいい眼科医が京都第二日赤病院にいるから手術してもらいなさい」と言う。
「電話借りますよ」と病室の受話器を取り、連絡先と相手の名を院内交換手に告げていた。
第二日赤病院の反応は早かった。「○○君か、Nだ」。「XXXX」。「なに、特別室がふさがっているだと。そんな不心得者は即刻退院させろ」。「△X△X」。○○君は副院長でN先生の後輩。よほど面倒見がよかったのか。
言いたいことだけ言うと、外で待たせていた婦長を促し、颯爽と廊下を渡っていった。聞くところによれば院長回診はそれだけで、ほかの患者は担当医に任せたそうである。この話はそばにいた妹も時々話題にした。不心得者はいつの間にか不届き者になっていたけれど。
2日後、母は第二日赤病院の特別室にいた。手術は眼科部長の初田先生が執刀。難しい手術だったので入院は10日に及んだが、退院後の経過は良好。特別室の患者は一般個室に移されたそうだ。第二日赤病院の副院長はどのような口実をつくって特別室を確保したのか。
明治40年生まれのN先生は70歳くらいだったと思う。当時、明治生まれの人はみな年寄りに見えた。実年齢よりかなり老けていた。しかしN先生はそんな年寄りとは真逆の方だった。シャンソンを愛する熱血漢でもあった。
母の病室で「不心得者は即刻退院させろ」と言ったN先生の言葉がよみがえる。誰を叱責したのでもないのだが、そういう言葉を投げつける先生ってすごい。呆れるやら、可笑しいやら、現場に居合わせた妹との長年の語り草になった。
妹は数年間N先生と交流があった。N先生はお抱え運転手の車で移動するのが常だったが、妹を気に入り、運転手を帰したあと「チコちゃん、わるいね」と言って妹の運転する車に乗っていた。
たまたま同年輩の老人(元毎日新聞論説委員)も乗せたとき、車内にシャンソン音楽が流れ、「やはりシャンソンはいいね」とN先生が言い、元記者がケチをつけ、論争になった。元記者はミュージカルのファン。そのやりとりが子どもの喧嘩みたいで傑作だったらしい。
N先生はエディット・ピアフ贔屓で、妹に「チコちゃん、シャンソンのほうがいいよね」と言い、返事に窮した妹は、「どっちもステキです」と返答した。後日の妹曰く、「明治生まれの大物でも些細なことで喧嘩するんだ」。
昭和55年ごろだったか、元記者の老人について、記者としては一流だけれど、評論家としては二流だと某所でクチをすべらせた。某所のマダムは元記者の顔見知り。告げ口し、ご立腹されたようであるが小生を責めることはなく沈黙を通された。当たっているか、当たらずしも遠からずとご本人も認めておられたのかもしれない。
年寄りになって、些細なことで伴侶に食ってかかることが増え、口走って反省してのくり返し。持病の症状の一つは「怒りっぽくなる」。高齢も手伝って短気になっているのだろう。小物でも些細なことを見過ごせないのかと呆れる日々。
ホテル「ローメルバッド」 バーデン・ヴァイラーの教会の鐘撞き堂から撮影

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