37   2002年10月国立劇場 通し狂言「霊験亀山鉾」その一
更新日時:
2002/10/30 

 
 「れいげんかめやまほこ」と読む。四世鶴屋南北の仇討物の傑作で、70年ぶりの復活狂言である。昭和7年(1932年)11月、二代目延若の水右衛門で大阪・中座で上演されてから、平成元年11月に国立劇場で吉右衛門が水右衛門をやったが、肝心の「お妻八郎兵衛」が省かれた。また、今回は仁左衛門が一人三役(藤田水右衛門、八郎兵衛、藤田卜庵)を演じるが、三役を一人の役者が勤めるのは文政5年(1822年)7月、江戸・河原崎座で五世幸四郎が三役を演じて以来180年ぶりのことである。
 
 主人公の藤田水右衛門は、江戸時代を通しての実悪の名人・五世幸四郎の本役として、わざわざ南北が書き下ろした役どころであり、徹底した冷血漢を仁左衛門がどう演じきるか、たのしみに胸踊らせて国立劇場へみに行った。五世幸四郎は鼻高幸四郎とも呼ばれ、写楽の浮世絵のモデルにもなり、切手でも有名な人である。上の画像は仁左衛門の水右衛門だが、この写真ひとつで悪のイメージを抱く方もおられるかもしれない。
 
 ☆「序幕第二場・石和河原仇討の場」
 
水右衛門の出。冷酷な役どころも端(はな)から仁左衛門は手の内、そう思わせるに充分な出である。ただ、その後は仁木弾正のような実悪ぶりとはちがい、仇討を返り討ちする側の悪役を非情ではあるが端正に演じる。ここは仁左衛門の工夫であろう、返り討ちが幾重にも積みかさなり筋が展開するのであってみれば、最初の返り討ちで陰惨のすべてを出すのは憚られる。
 
 ☆「序幕第三場・播州明石網町機屋の場」
 
孝太郎のお松が筋書きをセリフの中で言うが、淡々として頭に入りにくい。染五郎の源之丞は色気がなく分別くさい。仇討(彼らの敵が水右衛門)とはいえ男と女の濡れ場である、ましてお松は源之丞の隠し妻、秘め事は燃える。芳醇とはいわない、色と艶がほんのりと舞台から立ちのぼってくるような、そういう男女を演じてもらいたいものである。色気は仇討の引き立て役になる、そこが南北の狙いなのだから、狂言作者の意図を汲み取ってもらいたい。
 
 特に源之丞が、「これ、機嫌を直しゃ」と言いながらお松を抱こうとする所で、「アレ、まだ夜には間もあるに」と言いつつ満更でもない顔をする場面だが、二人とも明らかな色気不足。あれでは観客の誰もジワ〜とこない。くどいようだが、仇討ものゆえ色気をあらわす場面は少ない。少ないからこそ、限られた見せ場でのこぼれるような色気を身体で表現せねばなるまい。客を堪能させるには技量不足である。高麗蔵のおなみ(源之丞の兄嫁)は無難。
 
 ☆「二幕目第一場・駿州弥勒町丹波屋の場」 「安倍川の返り討の場」 「焼場の場」ほか
 
序幕第二場での弥十郎・兵助役はニンになく空回り。それに較べてこの場の官兵衛役はこの人のニン、弥十郎の面目躍如である。芝雀のお妻はまずまず、源之丞の子を宿すのだが、ここでも香具屋・弥兵衛、実は源之丞の染五郎が色気に乏しい。美しい芸者(お妻)を一目惚れさせ、深い馴染みを交わすほど狂わせるのである、匂い立つ男の色気がなくては按配悪かろう。身体から発散するのは色気ではなく育ちの良さでは困るのだ。
 
 染五郎は将来十世幸四郎を継承する。時代の趨勢はどうあれ、水右衛門役は仁左衛門から十世幸四郎に引き継がれるはずである。したがって染五郎は、今回の仁左衛門の演技をほかの誰よりも真剣にみている。南北ものは凄惨を極める殺し場も数多いが、同時にきわどい濡れ場も随所に散乱する。東海道四谷怪談も恐いだけではない、民谷伊右衛門は優柔不断さと冷酷さを併せ持ち、男の色気をムンムン発散する色悪なのだ。染五郎はもっと江戸和事を学ぶべきである。将来、南北の生世話物を演じるためにはそれが不可欠であろう。
 
 この場の仁左衛門・八郎兵衛は前半で侠客の親分風、後半では「桜姫東文章」の釣鐘権助風。釣鐘権助は仁左衛門の本役ではあるが、仁左衛門らしくもない、当代随一の歌舞伎役者である、その本望をみせる芝居を十分やれる人だけにどうしたものであろうか。場によって役柄の違いはあるが、その後の「焼場」の八郎兵衛の下品さ、凄みに比してどこか食い足りぬ。
 
 秀太郎の丹波屋おりきは「伊勢音頭」の万野を彷彿させるが、遊郭のおかみ役はこの人のニン。巧みで可笑しい。染五郎の弥兵衛は「伊勢音頭」の福岡貢のようである。ほかに気になったのは大道具の手抜き。丹波屋は遊郭の揚屋である、にもかかわらず廓の華やかさがみる者に伝わってこない、何としたことだろう。ここでの見所のひとつは、お妻の口から仇討の秘密が漏れては大事に至る、口封じにお妻を殺さねば、と戻ってきた場面の弥兵衛(染五郎)実は源之丞、テンポがよくセリフの切れもよい。 
 
 「安倍川返り討の場」は南北極めつけの殺し場である。五世幸四郎を念頭において、この場と次の「焼場」に特に力を入れて南北は脚本を書いたのではなかろうか。ところがスタッフの原作に対する読みが浅いため、この場面が生かされていない。源之丞と奴・袖介の二役早替りを染五郎にやらせるのはどうかしている。単に染五郎を目立たせるために早替りをあてこんだのなら失敗もよいところ。主人公は冷酷無比な水右衛門なのである。
 
 また、「丹波屋の場」からの流れがよくない。場から場へいちいち幕が引かれ、そのため芝居がブツブツ切れて、せっかくの上昇気分に水をさす。ここは普通に盆を廻したほうがよい。特に安倍川から焼場への展開は盆を廻して、一気に畳みかける演出が必要であろう。あの場はそうでなければ観客の気がそげてしまう。芝居の間は間延びしたときほど悲惨なものはない。たっぷりみせる所はたっぷりと、急ピッチな所は巻きでやってもらいたい。
 
仁左衛門の真骨頂は「焼場」の丸棺から出てきた水右衛門の終(しま)いのシーン、お妻にとどめをさし、「石井一家の奴ばらも、これでおおかた、」とつぶやいて、殺した人間の数を指折り数える時の思い入れである。嗤(わら)うでもなし、嗤わぬでもなし、なんとも云いようのないあくどい顔は、南北が居合わせたら思わずにんまりしたであろう。
  
                (次回へつづく)


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