32   2003年3月歌舞伎座 昼の部「源氏物語・浮舟」
更新日時:
2003/03/13 
 
 今月は南座、歌舞伎座と東西で源氏物語の競演である。もっとも、南座は光源氏そのひとが主役であり、光の須磨の配流後から桐壺帝の霊のお告げにより明石に移り、都に戻るまでのよしなしごとと光の内面描写が芯となっている。それに比して歌舞伎座は光源氏の孫・匂宮(明石の君と光との間に生まれた女が今上帝の中宮になってもうけた子)と薫大将(表向きは女三宮と光との子であるが、実は光ではなく、女三宮が柏木と密通して生まれた)に、浮舟がからむ「宇治十帖」が芯となる。原作は北條秀司、初演は1953年7月明治座。
 
 今回の歌舞伎座は昼夜ともに仁左衛門、玉三郎、勘九郎の共演で大賑わい、三人の芸質の違いを見るにも、歌舞伎の面白さを心ゆくまで堪能するにも絶好の機会。
狂言的には夜の「きられ与三郎」(与話情浮名横櫛=よわなさけうきなのよこぐし)に一日の長があるし、なんといっても仁左衛門の与三郎は当代随一ゆえ見所も多いのだが、「浮舟」は初めてみる狂言(18年ぶりの上演)なのでこちらに食指が動いた。
 
 新作歌舞伎のよいところは、歌舞伎に対して抵抗感があったり、頭から歌舞伎は難しい、退屈だと考えている人もスンナリ芝居に入れる気楽さ。特に北條ものは「狐狸々々話」にみられるような滑稽味が散逸する。まして勘九郎、秀太郎である、面白くないわけがない。
 
 東西の源氏物語を比較すること自体バカげた話ではあるのだが、というのも東は何度も記すように仁左衛門、玉三郎、勘九郎の人気、実力ともにそなえた芸達者、西は弱冠25歳の新之助、どうみても東に軍配が上がる、それにストーリーも異なる。
にもかかわらず両者を比較したかった。花なら歌舞伎座の看板役者三人と比較しても殆ど遜色がないと思えたからである。それほど新之助の光源氏は花があったし、冴えていた。
 
 序幕は二条院の庭である。いきなり浮舟の母・中将(秀太郎)の色模様。もっとも、ずばり濡れ場が舞台に繰り広げられるのではない、濡れ場を想像させるシーンなのだが、たったいま事を終えたという風情の年増・中将のしどけない様子が舞台に横溢する。
このあたりは秀太郎の手の内、序幕からただならぬ気配がただよい、色事がこの狂言に少なからず関わってくることを予感させる。いや、匂わせるとでもいうべきか。
 
 匂宮(勘九郎)と浮舟(玉三郎)の母・中将、このふたりは好色という点であいみ互い、第四幕、匂宮は中将の手引きで浮舟の寝所を訪れる。それにしても、好色は好色の気持を理解するのであろう、そういう猥雑な連帯感を笑いにして客席に伝える芸は見事、好色はなにがしかの猥雑さに裏打ちされてこそ笑いが取れる。笑いのない好色は単なる卑猥、長くみれるものではないし、すぐに飽きがくる。
 
 薫大将(仁左衛門)の花道の出は風雅というべきか、貴人の雅やかさが春の風にのって客席まで届いてきそうなおもむき、さすが、流麗で気品ある役はこの人のニン。東国から都に上ってきた浮舟との出会いが、えもいわれぬあでやかさ、まさにこぼれ落ちるようである。
 
 第二幕・宇治の山荘から第三幕・二条院の庭まで、薫大将から子供扱いされて憤懣やるかたのない浮舟(玉三郎)は、女に目覚めつつある精神不安定な時期にいる。薫大将が自分を求めようとしないことに苛立ちをつのらせるのだ。
玉三郎のハラと薫大将のハラとはまさに正反対、薫大将の心中は、自らの出生が複雑なこともあって、色に溺れるのは避けたい、したがって、潮が満つるまでは精神愛を貫き通したいのだ。はやる女と抑える男との対比、せりふではなくハラで演じるから芝居が生きる。匂宮は浮舟が欲しくて、やいのやいのの催促である。
 
 第四幕は再び宇治の山荘。ここでは中将(秀太郎)が匂宮の肩をたたくのだが、もともと浮舟に対して下心十分の匂宮ゆえ否はない。好色同士のせいか、話のまとまるのも早い。母(中将)の手引きで娘(浮舟)の寝所へと誘われる匂宮であるが、ふたりの歩みをせかすように盆が回る。寝所へと急ぐ匂宮が傑作で、客席は爆笑の渦。「初めてのようで足が震える」の口調と動作は勘九郎ならでは、まあ、これもご愛嬌。
 
 浮舟の寝所で結局匂宮は思いを遂げる。はじめは拒んでいた浮舟が、拒みきれず肌を許す過程に説明は要るまい、匂宮の強引さにではなく、薫大将のプラトニック・ラヴに負けたのである。その後の展開は…みてのおたのしみ。
 
 勘九郎は仁左衛門、玉三郎にひけをとらず、要所々々で客席を湧かしたが、最後の詰めがやや不足。色男というより、色悪特有の冷酷さが足りなかったように思う。秀太郎の中将が上々吉、あれだけうまくやると、まるでやり手ばあさんのおもむきが出てきそうだが、ギリギリの手前で無難にまとめている。浮舟の悲哀、薫大将の憂愁が光彩を放つのも、秀太郎の中将に負うところ大。ところで、匂宮は今後も勘九郎の持ち役となろうが、この役、一度仁左衛門にやってもらえたら‥との思いしきりであった。
 
 カルメンではないが、ホセを勘九郎、エスカミーリョを仁左衛門に‥色悪はやはり仁左衛門のニンである。筋書と配役の割りふりに問題がなければ、そのほうが面白いのではないだろうか‥などと想像は勝手に膨らんでいた。


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