31   2003年6月歌舞伎座 通し狂言「曽我綉侠御所染」
更新日時:
2003/06/23 
 「そがもようたてしのごしょぞめ」と読む。河竹黙阿弥が四世市川子団次に合うように書いた時代世話狂言で、初演は1864年2月市村座。黙阿弥没後110年目の節目ゆえ通し狂言の上演となった。仁左衛門の「御所五郎蔵」、玉三郎の傾城皐月。仁左衛門、玉三郎は前半の「時鳥殺し」で後室百合の方(仁左衛門の女形)、時鳥も演じる。五郎蔵は五世菊五郎、十五世羽左衛門、六世菊五郎、十一世団十郎らの当り役。
 
  「名取川見染の場」
 
 巡礼姿の娘おすて、のちに愛妾時鳥(玉三郎)に一目惚れする鷹狩り帰りの浅間巴之丞(染五郎)。巡礼娘が雲助をねじ伏せるのを目撃した巴之丞の「はて あでやかな」のせりふが分別くさいせいか、側室に所望する男の淫らな思いが表出できていない。かろうじて巴之丞の家臣がいっせいに「お立ちい〜!」と大音声をあげたところで、愛妾になる女とならせる男とのある種の求愛がかたちを得るといった具合で、「お立ち〜い」が実に意味深長。
 
 巴之丞と時鳥の濡れ場、色模様は出てこないから、ここはこの場だけでそれらしいい雰囲気を醸しださねばならない。その点、何度も繰り返し云うように染五郎の色気不足はいかんともしがたく、いずれ近い将来、南北物の色悪を主役で演じる日のためにも芝居上の色気を修得してもらいたいものである。玉三郎の巡礼姿は凛然、艶やか。
 
  「長福寺門前の場」
 
 両花道の一方(上手側)より仁左衛門の須崎角弥(のちに御所五郎蔵)と玉三郎の皐月(須崎の妻)の出。このふたりはやむにやまれず駈け落ちするのだが、4月の歌舞伎座を病気休演していた仁左衛門、こころなしかからだの肉が落ちたように思えた。ふたりは常設花道へと移って去ってゆく。
それから間もなく後室百合の方(仁左衛門の二役)が登場する。百合の方は巴之丞の正室の母で、巴之丞に寵愛される側室の時鳥を恨みに思っている。仁左衛門の悪役には定評があり、特に冷酷な役どころは腹が立つほどうまい。この役も抑制のきいたなかに陰湿さが出て秀逸。そこにいるだけで悪のにおいを放っている。
 
   「浅間家殺しの場」
 
 定式幕が開くと、舞台前面に杜若、うしろに山吹がふんだんに咲いている。歌舞伎座は横長であるから、盛りだくさんの花で初夏の香りが客席いっぱいにあふれる。この美しい場での醜悪ななぶり殺しは特に「時鳥殺し」といい、今回のような通し狂言でなければ滅多にお目にかかれない。こんにちの歌舞伎見物はお上品な女性客で占められており、彼女たちの嗜好は江戸末期の嗜虐性とは相容れない部分があるように思われる。
 
 歌舞伎役者にサラリーマンの夫や父と同一のものを求める傾向も強いように思うが、歌舞伎役者があなた方の夫君や父上のごとくおおっぴらに遊べないのなら世も末で、大向こうを唸らせる役者の輩出、台頭も望めまい。芸道上達に至るには様々な方法・工夫があるだろうが、女遊びを通して、さらに云うなら、女性との深い馴染み、肉体関係、心身の交流を重ねることで会得するものは多かろうし、芸の幅が広がることもあるのである。色に耽ったばっかりに、失うものより得るものの多いのが歌舞伎役者たる者の本分であろう。
 
 さて、この場ではまず腰元二人が時鳥(玉三郎)をさんざんに斬りつけた後に花道より百合の方(仁左衛門)が出、さらに時鳥を斬りに斬る。醜いものが美しいものを死に至らしめるという嗜虐性、醜が美を破壊するというのは一見冷酷無比である、しかしそれはむしろ当然というべきで、美は醜を破壊しはすまい、美は自らが引き立つために醜を必要とし、美は死滅しても美であってみれば。
 
 時鳥の「なぜひと思いに殺してはくれませぬ」のせりふも玉三郎は哀願調で言うことはせず、凛然と言うのはお手柄、殺し場がどんなに凄惨をきわめても、時鳥役のニンは微動だにしないということを示しているのである。悲哀を表現するときに哀れを強調すればよいというものでもあるまい、時鳥は美の象徴であってみれば、哀れさよりある種の凛々しさで役にのぞむほうが、凄惨のなかに一輪の花の美がのこり、みる者の余韻となる、それがこの役(時鳥)の心意気というものであろう。
 
   「五條坂仲之町の場」
 
 両花道から御所五郎蔵(仁左衛門)と星影土右衛門(左団次)が登場して、花道七三で互いに向きあって黙阿弥得意の七五調のせりふの掛け合いをする。せりふ自体は特に重要ではなく、ありていにいってあまり意味はないのだが、黙阿弥独特の調子と流麗さ、イキの良さに聞き惚れる場面で、五郎蔵役には口跡の良さとせりふ回しの良さが要求される。
 
土右衛門: 筑波ならいを吹きかえす風肌寒き富士南、上野の鐘の音も曇る、雨の箕輪の里越えて、田の面に落つる雁の声。
五郎蔵: 空も朧ろに薄墨の絵にかくさまの待乳山、花を慕うか夕汐に、上手へ登る白魚や二挺櫓立てし障子舟。 (中略)
 
土右衛門: 角だつ心も色酒に、和らぐ廓(さと)の春景色。
五郎蔵: 梅も桜に植えかえて、まさる眺めの仲之町。
土右衛門: 誰待合の辻かけて、やがて由縁(ゆかり)の花菖蒲(はなあやめ)。
五郎蔵: 軒の燈籠八朔に、白きが目立つ菊花壇。  (後略)
 
  「御所五郎蔵」といえば、この場から「甲屋奥座敷の場」、「廓内夜更の場」の三場が上演されることが多く、大詰の「五郎蔵内腹切の場」を時間の都合かなにかで端折ってしまうのはよくない。四点セットで見せ場は見事に完成するのである。
仲之町の五郎蔵は昔の須崎角弥とうってかわっていなせで颯爽とした侠客。姿形、口跡のよさで当代仁左衛門の右に出る者はおらず、この場はこの人の独壇場。五郎蔵の子分のさす傘に松嶋屋(仁左衛門)の定紋〈円に二びき)が描かれているのは贔屓へのサービス。五郎蔵の子分のなかでは、先月(5月)四代目権十郎を襲名した正之助の清々しさと口跡の良さが群を抜いていた。
 
  「甲屋奥座敷の場」
 
 傾城皐月が夫・五郎蔵に愛想づかしをする場面のせりふのやりとりが芯。皐月は五郎蔵に必要な二百両を用立てようと、土右衛門に身を任せる覚悟をする。
 
皐月: さあ、お前が頼みの、いやさ、今日から他人となる私、これはお前へ手切でござんす。
五郎蔵: なに、その二百両を手切とは。
皐月: なんにも言わずにその金を、手切に取ってくださんせ。 (中略)
 
皐月: すむもすまぬもござんせん、お前に一生連れ添えば楽のできぬ私の身体、苦労するのは寿命の毒、襟か裾かは知らねども、裄丈揃うた星影さん(土右衛門=左団次)にこの身を任せ、楽して暮らすがこの身の得。 (後略)
 
 玉三郎の愛想づかしのせりふ回しが実にいい。土右衛門が真隣にいるのを尻目にさらりという景色が秀逸。本心を隠し、偽の本性をあらわにする廓の女はこの人ならではの出来。手練手管を駆使して惚れたふりをするのは遊び女の常であるが、ウソの愛想づかしを双方(五郎蔵と土右衛門)に見破られず成就するのは難しい。玉三郎はそのあたりの呼吸がよいのと、仁左衛門との息もピッタリ合っていて上々吉。案の定、五郎蔵は逆上する。
 
 女房からの手切ときいては、何が何でも受け取れない、千両、万両の金を積んでも取るものかと突っぱね、土右衛門に向かって、「「晦日(みそか)に月の出る廓(さと)も闇があるからおぼえていろ」とすごんで、下駄の音を響かせて花道から引っ込む。その時の姿と調子の美しさは仁左衛門のもの。しかし、この出来事が後の悲劇の引き金となるのである。
 
  「廓内夜更の場」、「五郎蔵内腹切の場」での見所については詳述を避ける。筋書は最後までは言わぬが花というものであろう。五郎蔵は皐月と見誤って、傾城・逢州(孝太郎)を斬ってしまい、悲劇が悲劇を呼ぶ。「廓内夜更けの場」で、土右衛門が花道すっぽんから印を結びながら現れ、花道〜揚幕へ引っ込むところは仁木もどきで面白い。
五郎蔵は颯爽として毅然たる面と、短慮で女心に無頓着な面とが兼ねそなわっており、両者が角つき合わせることによって惨劇が生まれるのである。そこがこの狂言の眼目、仁左衛門、玉三郎のうまさが冴える「曽我綉侠御所染」であった。


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