24   仁左衛門の心技体(四)
更新日時:
2003/09/21 
 
 仁左衛門は花のある役者といわれている。歌舞伎の花は役者の身体に咲くといったのは渡辺保であったが、花と実との対比について初世・芳沢あやめ(1673〜1729)は「役者論語」(やくしゃばなし)に「所作事は狂言の花なり。地は狂言の実なり。」と記している。芳沢あやめのいう地とは地芸、すなわち写実芸のことで、所作事とは踊りをいう。
 
 あやめはつづけてこうもいっている。
「地芸に精を出さないのは、花だけを見て実を結ばないのと同じである。辰之介《水木辰之介 1673〜1745 元禄期の名女形 舞踊の名手》はうまいには違いないが、工夫がないように思える。花は実を結ぶために咲くのだから、地芸をしっかり身につけた上で花をあしらうことが大切である」。
仁左衛門は必ずしも舞踊の名手ではない、どちらかというと踊りは不得手である。しかし仁左衛門には花がある。いや、仁左衛門は花も実もある役者なのである。
 
 渡辺保は、「花に内容があるから、あるいは意味があるから花をながめて心を奪われるのではあるまい、意味・内容をこえるものがこの世にはたしかに存在し」、そのありさまは花に似、「芸はさながら自然に似る」。「内容や意味もなく咲く花が人の心を豊かにするように、幕が閉まったのちも、いや今日でさえ心を豊かにみたしてくれる」ものが花であると述べている。(【岩波講座】歌舞伎・文楽第一巻 「歌舞伎と文楽の本質」)
 
 花が人間の手で栽培される以前、花はつくられたものではなく自然になったものであり、芸の理想もつくられてできる芸よりは、つくられる途上でわれ知らずなったものを‥ある種の神がかりを‥人は至芸とよぶのではないだろうか。至上の花はこの世のものではない、極楽浄土に咲く花が至上の花であって、それはまさしく私たちの想像の産物なのである。
 
 至芸は、役者の技、身体、思い入れによってつくられ、かもしだされるものではなく、むしろ私たちの経験、感性、想像によって生まれるものなのかもしれない。役者は先人の口伝から学び、型を修得し、それに独自の工夫をこらし、精一杯舞台で演じる。役者が至芸を目ざしても、至芸が首尾よく生まれるものでもなかろう。至芸はつくられるのではなく、成るのである。
 
 歌舞伎という荒唐無稽な世界を理路整然とひとつの型にはめ込むことはできない。私たちが荒唐無稽でないとだれに言えよう。因縁話は理屈では語れない不可解さにみちていて、「三人吉三」の複雑怪奇な人間模様は、多くの人々にとっては理解の埒外かもしれないが、ごく少数の人々にはありえる話であり、そしてまた、いつかどこかで起こりうる可能性をはらんでいるのである。
いまもなお「三人吉三」が上演されるのは、黙阿弥特有の七五調の名文句と、役者の仕所の多いせいばかりではない、この世は常識の器に入らない荒唐無稽と摩訶不思議が横溢しているからである。
 
 伝統と型が重んじられる歌舞伎の狂言は、ものごとの側面しか見ない人には荒唐無稽とうつるが、芸に打ちこみ、芸にいのちを捧げている役者にとって、舞台で狂言を演じること、それを見物にみてもらうことが生活のほとんどすべてといっても過言ではない。
一言に研鑽の人・仁左衛門の工夫と評者はいうが、仁左衛門のひらめきから生まれるそうした工夫は、芸にいのちを捧げている役者への褒美‥天から降りて人に与えられる‥すなわち、天からの授かりものなのではあるまいか。
 
 古事記のアマテラスとスサノオ、天の岩屋の話は単なる神話でもなければ寓話でもない、他者から認められること、崇拝されること、天から付与されることのかくありなんという状況を示す、真に迫った狂言なのである。古事記の語りべと歌舞伎の狂言作者との違いは、扱うテーマの相違‥一方は天地の神々と国造り、他方は忠孝と欲‥であり、時代背景の相違である。
 
 しかし、両者が描く神々や人間の心の葛藤、語りべと狂言作者の内的真実‥記録にあらわさなかった事実‥を共有し、それをもとにどこかで自己を表現する、つまり、それとは分かりにくいように語る、あるいは書き入れるという点で両者は一致しているはずである。
 
 弟・スサノオの荒ぶる心からおこった乱暴狼藉を、ただ野卑な行動とすまさず、高天原への謀反の兆しと思ったアマテラス。姉に疑われたことで暴れに暴れたスサノオの悲憤。苦悩のすえ天の岩屋に閉じこもり、おのれの力のなさを嘆き、懸命に祈りを捧げたアマテラス。
あれほど研鑽に研鑽を重ね、精進に次ぐ精進の日々を送ってきたのに、なぜ天は、皆はそれにこたえてはくれないのか、自分にはその資格はないのだろうか。その問いにだれもこたえることはない。試練とはそういうものである。
 
 苦悩も病も試練であり、試練は天が与え、試練をのりこえた者だけがひらめきと至芸を授かるのだ。いつ神的瞬間が訪れ、どのようにそれに達したか、ほんとうのところはだれにも分かるまい。ただ、アマテラスが天の岩屋から出たとき明るいひかりがさし、外にいる見物=八百万の神々がそのひかりに包まれたように、名優が舞台に立つとき、見物が明るいひかりに包まれることはあるだろう。それを私は神的瞬間と思うのである。そして、そこに咲く一輪の花を見るのである。
 
 以前はオオヒルメノムチと呼ばれていたアマテラスが試練を経て真のアマテラス=天照大神と成ったように、名優は在るのではない、成るのである。襲名とは本来かくあるべきものである。十五代目片岡仁左衛門は、平成十年四月松竹座・襲名披露の「寺子屋」松王丸、平成十一年三月松竹座「仮名手本忠臣蔵」大星由良之助で真の名優と成ったのである。
 
                          (未完)


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