23   仁左衛門の心技体(五)
更新日時:
2003/09/28 
 
 平成十一年三月・松竹座の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」、四段目「判官切腹の場」と「城明渡しの場」、九段目「山科閑居の場」での仁左衛門の心境は、忠臣蔵という高名な狂言をこえて、大星由良之助の心境そのものであった。私は歌舞伎の「忠臣蔵」を語っているのではない、それは多くの先人があますところなく語っており、そのすべてを私は把握しているわけではないが、読んでなるほどと思う劇評の目白押しである。
 
 この小文の冒頭で仁左衛門の病にふれたのは、八ヶ月に及ぶ入院の、出口の見えない序盤の闘いで、仁左衛門の心のうちに去来したものへ思いを馳せれば、仁左衛門の苦悩と憂愁を想像できると思ったからであり、それはつまり、仁左衛門はもう二度と舞台に立つことはできないのでは‥という不吉な予感がよぎったに相違ないと思えたからである。
 
 四段目の判官と由良之助、死にゆく者と見送る者、この対比は九段目の加古川本蔵と由良之助でもあり、そしてまた、見送る者も間もなく死ぬことを自覚している。のっぴきならない生と死を、病魔との苦闘のすえに人生の危機をのりこえた仁左衛門がどうみていたか。
 
 四段目と九段目の由良之助は受け役、したがってセリフもほとんどない。セリフを言わず受けに立つ役者のハラが十分なら、セリフを言う相手が生かされ、逆に、セリフを言わない役者のハラが十分でなければ、相手のセリフも演技も生かされはしない。
 
 判官の「待ちかねた」のセリフや、本蔵の「忠義ならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心、推量あれ由良之助殿」の述懐を、はじめて聞くかのごとく仁左衛門は聞いている。歌舞伎公演中二十五日間そうして聞いているに違いない、受けとはそうしたものである。判官も本蔵もさぞやりやすかろう、述懐のしがいもあろう、地獄に仏と感謝し、浄土の花を垣間みる思いであろう。仁左衛門は相手に呼吸を合わせる名人なのである。
 
 その様子が客席につたわるから、仁左衛門の心の在りようがつたわるから、見物は感動の坩堝に巻き込まれるのである。そして、仁左衛門の類まれな集中力がこういう時に発揮される。一口に集中力などというが、セリフを言う者にそれが必要なのは当然として、受ける側に集中力が不足すれば芝居はじゃらけてしまい、見物は欲求不満に陥る。
二十五日も芝居が続けば、なかには集中力が途切れて手を抜き、芝居をこわしてしまう役者もいる、私は何度もそういう役者をみてきた。
 
 受けといっても、ただ漫然と黙しているのではなく、相手のことを考え、慈しみ、さらに、相手の心象を害したり、不利益を被ることに口を閉じる、仁左衛門は常にそのつもりで舞台に立っている。だから仁左衛門の沈黙は金なのだ。沈黙は金ということばの真意を舞台の上で体現しているのである。肝心なのは、相手‥九段目の場合は本蔵‥の心情の吐露をひたすら慈しむ心の有無である。仁左衛門とほかの由良之助役者の格差はあまりに大きい。
 
 加古川本蔵は由良之助の主・塩冶判官が高師直を斬りつけたとき、止めに入った男である、しかも、本蔵の娘・小浪と由良之助の子息・力弥は婚約している。「忠義ならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心」が人の心を打つのは、娘のしあわせをひたすら願う親のありがたさが分かるからである。
大星邸に虚無僧姿であらわれる本蔵はすでに死を覚悟している。娘を力弥と添いとげさせるために命を投げ出すのだ。仁左衛門の風格は由良之助役者であると同時に本蔵役者、欲をいえば仁左衛門が二人いればよいが、そうもいかない。虚無僧の象徴・天蓋をとったとき、祖父・十一世仁左衛門を彷彿させる苦味走った面構え、情味あふれる芸容はこの人のもの。
 
 この場で虚無僧姿の本蔵が奏でる尺八の曲は「鶴の巣ごもり」。ひな鳥の誕生、その巣立ち、親鳥の死をイメージした曲趣とされる。
 
 九段目はおよそ一時間四十分の長丁場、歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」の通しを演る場合、ほとんど九段目は省略される。東京で通しをやるときの由良之助は幸四郎、九段目の由良之助は受けに回るから見せ場は少ない。見せ場は少ないが仕所は多い。
沈黙を金にかえ、慈しみをもって接するハラがあるかどうかが求められるのだが、問題はそこにあり、二時間近い長丁場で、見物を退屈させない由良之助役者がいないのだ。歌舞伎座で九段目が省かれるはそういう理由による。
 
 受けに回ればセリフは少ない、しかし、九段目の仁左衛門・由良之助は胸中でどれほど多くのことばを語っていたことであろう。それは四段目の「城明渡し」でも同様である。上方型・四段目の門外は、赤門に青竹をX(交差)して閉門の形をみせる。さらに、門が倒れて小さい門があらわれ、遠景になってゆくという大道具の工夫(アオリ)があって面白い。
 
 面白いといえば、赤門に関する蘊蓄も例外ではない。明治以来、八世三津五郎にいたるまで、赤く塗った門は女性だけが出入りする、江戸城でも奥方の通用門は赤いとか、徳川家の姫を嫁にもらった藩にかぎって赤門が使える、東大の赤門=加賀前田藩がそれにあたるなど。であるから、四段目の赤門は理屈に合わないという。
 
 さて、「城明渡し」の由良之助は提灯の火を消し、短刀をふところにしまい、塩冶家の紋の入っている提灯の弦を取り、上下の木枠をはずし、真ん中(紙とヒゴ)をたたんで袂に入れる。そこですかさず鐘の音が入り、由良之助が下手へ歩きかけるやいなやカラスが鳴く。吉兆とは思えないカラスである。
 
 そして由良之助は花道七三まで来て、刀の柄に両手をおき、振り返って門をみる。そのときの仁左衛門の思い入れは、目いっぱいに涙をたたえ、長年つとめてきた歌舞伎の舞台には二度ともどれないのかという憂愁にみちていた。
それはあたかも、入院前半の仁左衛門の心境そのものではなかったろうか。由良之助といえば、とんでもない急場をしのいでくれる人、せっぱ詰まった大変事にさばきをつけてくれる人、心のよりどころとなってくれる人である。その由良之助が、討ち入り前にたった一度みせた涙である。このとき、仁左衛門には由良之助が憑いていると私は思った。
 
 この世は刹那である。人は刹那を生きている。刹那をできるだけ美しく生きたいと願うのは欲であろうか。この世が刹那であってみれば、それゆえに役者の魂は、一回の舞台、一度の芸に永遠を封じ込めようとするのではあるまいか。
たとえ一公演二十五日であっても、元をただせば一期一会なのである。永遠を一瞬に封じ込める記憶力が私たちにあるから、一期一会が生かされるのだ。苦悩の後、血路をひらいた仁左衛門の魂はそうして自らの形見をのこしたのである。
 
                          (未完)


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