レストラン
 
 おいしいレストランの見分け方ほど難しいものはない。当方が経験を積んでレストラン探しの達人になれたとしても、料理人が代わればそれまでである。また仮に料理人が同じでも、年齢やそのほかの要因、味の濃い薄いや、脂の多い少ないなどの個人の好みによって、料理の評価はいかようにも変化するのが常であるからだ。
 
 私も20代後半から40代半ばまでは人後に落ちぬグルメの一員で、食は香港にありとばかりに、毎月のごとく香港詣をしていた時期もあった。広東料理の奥の深さに酔いしれ、ミシュランの三つ星など何するものぞという勢いであったように思う。
 
 実際、ミシュランの星ほどあてにならないものはなく、星に何度だまされたか知れたものではない。この国の人はやたらと星の数を珍重する傾向にあるようだが、なに、星の数などある種のまやかしと考えてよい。星で暮らしを立てている料理評論家もいるが、誤解を恐れずに言うと、星の数はいわば彼らの生活の糧。
 
 南仏を旅した時も、ニースのネグレスコや、ムージャン村のムーラン・ド・ムージャンなどの2つ星、3つ星レストランで夕食を食した。南仏の前後も、パリやトゥールーズで名高い3つ星、2つ星レストランでもトライしたが、結果は芳しくなく、星の数のいい加減さにホトホト愛想が尽きた。
 
 当時有名であった3つ星レストランの料理人(名前は言いません)の腕は、食材選びや皿選び、色どりや盛りつけのセンス、店の雰囲気づくりには大いに発揮されたようだが、肝心の料理に発揮されたか否かは極めて怪しいと思わざるをえない。料理成否の鍵は食材が握っているので、料理人の食材選びには熱が入る。
 
 2つ星、3つ星のレストランや料理人の味を褒めそやすのは、世界的に知名度のあるオペラ歌手の歌に讃辞を送るようなもので、彼らとて得手不得手があるのであって、全範囲をカバーするのは無理なのだ。具体的にいうと、ホセ・カレーラスはドン・ホセには向いているが、エスカミーリョには向いていない。プラシド・ドミンゴはその逆である。オペラ評論家がちょっとした事を大げさにいう癖があるのと同様、料理エッセイストは些細な味をことさら誇張する。
 
 ものを表現すること自体に問題があるというわけのものではないのだが、何でもかんでもオーバーに言えばよいというものでもあるまい。たかが料理、されど料理、という程度の褒め方でちょうどいいのではないだろうか。オペラとて同じで、小泉さんはその点大袈裟すぎるように思う。できの悪いモノに必要以上の讃辞を贈ると、かえって相手から変に思われるという事もないではないのだから。ありていに言うと、日本人の程度はこんなものかと決めつけられる。
 
 さて、おいしいレストランの見分け方は、地元のインフォメーションで、やや年かさの人におすすめを訊くのもひとつの手であるし、ミシュランの赤本をお持ちなら、赤い海坊主がメガネをかけているような感じの「Bib Gourmand」マークを目安にするのがよい。これは、Good meals at moderate prices という事の目印で、食べるものにもよるが、メイン料理に一人2千円〜3千円みておけばよい。
 
 赤本のナイフとフォークの色が赤いのもおいしくて安いレストランである。
また、ミシュランとは関係ないが、店頭に別のグルマンマークの絵(「Le Bottin Gourmand」推奨)が貼ってあるレストランもおすすめ。
 
 長年の経験から申し上げますと、上記のグルマンマークは、ミシュランの星と違って当たりはずれがない。そう考えているのは私だけではなく、旅慣れた欧州人もそういう視点でレストラン選びをしている。思いは同じで、高い、まずいのはご遠慮申し上げるという事なのである。ミシュラン覆面テスト員の舌の信憑性もさることながら、いくら味が卓越したものであっても、見てくれの悪いレストランに彼らは星を与えないのだ。内装が粗末な店は論外というわけである。
 
 店の内装が豪華で、趣味が良くて、皿も高価という基準が星の数を左右するのは問題があろう。われわれは椅子や壁紙、皿を食べにきているわけではないのだから。では、どうぞよい旅を。
 
 
2002/05/22