HOTEL
 
 あれはいつの頃からであったか、今にして思えば海外旅行何回目かのことであったように記憶しているのであるが、スタッフの柔和な物腰としっとりした応対、ドアマンの親しみやすさに秘めた凛々しさ、外観ではなく、ホテル内部のえもいわれぬ独特の雰囲気、レセプションから立ち昇る気品と艶(つや)やかな芳香、そんなものに束の間こころを奪われた事があった。いつかこんなホテルに泊まって、優雅な夜を過ごしたい、それもひとりではなく、最愛の伴侶とともに…。
 
 私の人生は、もしかしたらそのためにあったのではないか、そんな風に思えるのだ。素晴らしいホテルとの出会いによって私はたまさか蝶になる。笑わば笑え、蝶の命は短い、私たちの命も決して長いとはいえまい。動物学者の日高敏隆氏によれば、蝶は数種類の花の色が識別できるのではないかという。赤や黄色の花に多くの蝶が集まるのは偶然ではない。花もそれを知っていて、赤や黄色の花弁をつけるのである。
 
 蝶は花の色だけでなく、甘い香りも認識できるのではないだろうか、甘い蜜を求めて朝から飛び回っているように思う。花は蝶やミツバチのおかげで子孫を残せる。そのためには、春から夏にかけて常に甘い蜜を体内に保っていなければならない。
 
 言うまでもないが、植物の花弁は性器である。彼らは自分で営めないから昆虫の力を借りるのだ。花が美しいのは、人が自らを美しく飾るのは、いのちあるものすべての天与のさだめではないだろうか。しかしながら、花はいいなと思う、人間なら当然秘すべき身体の部分をおおっぴらに見せることができるのである。
 
 素晴らしいホテルは蝶を待つ花である。ホテルはひとときのあいだ蝶になる人間の恩恵を受けて存在し続けるのだ。蝶は一代でも、花は末代である。人と家、人とホテルの関係がそうであるように。人は一代、しかし家は末代なのである。
 
 閑話休題。
 
 
 ホテルに何を求めるかによって、ホテルの価値も見方もおのずと決まってこよう。観光かビジネスか、それとも他の目的か。私は香港のホテルはビジネス目的で利用した。その点、昔のペニンシュラやリージェント(今はインターコンチネンタルと名を変えた)は満足のいくホテルだった。客室の豪華さ、居心地のよさではヨーロッパの名門ホテルにひけをとるが、ベルボーイの躾、コンシェルジュの応対のよさ、ショーファー・ドリブン(のドライバー)の物腰や言葉遣いなどはヨーロッパの名門に勝るとも劣らなかった。
 
 特筆すべきはLaundryの仕上げのよさである。裏が高層ビルになる前のペニンシュラのランドリーは、持参予定のワイシャツ3枚を2枚にして、1枚をランドリーに出す値打ちのある出来ばえであった。天使のようなふわふわした仕上がり、神様がアイロンをかけたのではないかと思う極上のプレス。シャツは必ず「No Starch」。糊をつけなければ形を整えられないのなら、腕が未熟なのである。
 
 また、どんなに少量でも、糊づけは着心地をそこなう。いつだったか、ランドリーに出すためにワイシャツを5枚持っていった事もあった。あの着心地のよいシャツを日本で着たかったからである。即日仕上げは、午前10時までに出せば夕方5時上がり、夜出せば翌朝8時までに上がる。料金は通常の5割増。
 
 しかし、上には上があった。バンコク・オリエンタルのランドリーは、神々の中の巨匠が魔法の手で洗い、アイロンをかけたのであろう。素肌にまとうシャツの心地よさのせいで十歳若くなったと思った。ワイシャツは、香港のAscot Changで仕立てた、ゼンダリンという200番手の極細スイス綿。着物にたとえるなら、絽とか紗といった生地ではなく生紬(なまつむぎ)、繊維が息をしているのである。
 
 また、往時(1988年頃まで)のオリエンタルには3時間仕上げというのがあり、料金は倍であったが、急いでいる時などは重宝した。オリエンタル、ペニンシュラともに、自前のランドリー工房を持っているから無理がきくし、代々の職人、いや神を保護・育成できるのである。妙にランドリーにこだわっているが、私の職業はクリーニング屋ではない。
 
 こういう話をしだしたら止まらなくなる。ホテルとは違う方向に迷い込んでしまうので話を戻しましょう。ホテルの部屋に魅了されるのは、内装や調度品のせいばかりではなかろう。ベッドの形状、硬さ、背と臀部の当たる部分のある種のホールド感なども優れていなければならない。遮光カーテンの完璧さ、バスルームの広さ、ふたつある洗面台、シャワールームやジャグジーの使い勝手のよさ、ワードローブの大きさと機能性なども魅惑の道具であろう。
 
  ※なお、この続きは「エッセイU」の「HOTEL(1)〜(4)」に掲載いたしました。一読下されば幸いです。
 
                        
2002/09/23