頼られる
 
 人に頼りにされる間が花である。人から頼られることは誉れというべきで、誰からも頼りにされなくなったらおしまい、子供の頃母はそういった。誰が好きこのんで人を頼りにしよう、本心をいえば頼りたくない、しかし頼らざるをえない、そういう人の気持を考えてあげなさいと母はいった。
 
 たしかにそう思う。人から頼られる間が、利用される間が花であり、そういう時は人生も充実しているのではなかろうか。頼られたり、利用されたりするのは、人からみて力がありそうだと思われているからであり、好ましいとみなされているからである。
 
 時が過ぎ、それまで頼っていた人も自立する日がやって来る。やれやれよかったと思う矢先から言いようのない淋しさが募ってくる。自立できた時その人は去ってゆくのだ、私の前から。もう救いの手をさしのべる必要がなくなったのである、去ってゆくのは当たり前ではないか、そう思う反面、もう行ってしまうのかと心の頬をふくらます。
 
 去る者と去られる者、どちらが淋しいかは歴然としている。駅のプラットホーム、別れの情景を頭にえがいてみれば分かる。去った人がどんどん遠ざかって行き、列車もみるみる内に小さくなってゆく。去られた者が味わう淋しさは尋常ではなく、ほとんど悲哀に近いものがある。
 
 去ってゆく者はそれに気付いていない。気付くのは自分が逆の立場になった時だけである。淋しさが高じると、思わず心の中で「恩知らず」とつぶやくこともある。なにが恩知らずか、自立して旅立って行くだけではないか、恩知らずと思うのはたやすい、あんなに世話をしてあげたのに、だが、そんな風に思えばお前は小柳ルミコではないか。
 
 喜んであげねばならないことを恩知らずとは、料簡の狭いことをよくもまあ…。人は成長し変化する、そんなことは自然の理(ことわり)であって、いつまでも人をあてにするようでは困りはしないか、自他共に。必要とされなくなるのは、相手が成長した証しであり、去ってゆくのは環境の変化を求めるからである。お前はめでたく用済みなのだ。
 
 人が去っていっても明日という日は来るし、日が暮れれば夜になる。じたばたしても無駄であり、うじうじ考えて時間を空費するよりは、自分の明日を考えたほうがよいではないか‥かくして頼られた人はむなしくもその座から滑り落ちていくのである‥嗚呼!
 
 そんなことを何度か経験したが、今回の経験はいつもと違った。痛みが大きすぎて覚醒状態、夜も眠れない。眠れないから書いている。状況が状況で、つまり今の私には人から頼られるだけの持ち合わせがなく、それゆえに私を頼っていた相手は自立せざるをえなくなったのだ。どうにもこうにも身動きがとれないのである。何というか‥嗚呼!
 
 こうなったら破れかぶれ、再び人から頼りにされるべく起死回生をはかるしかない。人から頼られていた時たしかに充実していた、花があった。いつの日かまた花を咲かせよう、それが自らの誇りであってみれば。
 
更新日時:
2002/12/07

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