南無大師遍照金剛・1
 
 お経かぁ、などと落胆することなかれ、経文には、人間世界の癒しとなるありがたいことばが盛り込まれているのです。そして、私にとってお経とは南無阿弥陀仏ではなく、南無大師遍照金剛、つまりはお大師様、弘法大師・空海の経なのです。
 
 抹香臭い話しで恐縮であるが、私は般若心経が好きである。般若心経を暗誦しているから、空ですべて言える。昔、ビートルズのレット・イット・ビーを南無阿弥陀仏と訳した人がいたが、君、それは読みが浅いよと思ったものである。
 
 レット・イット・ビーは「なるようにしかならない」という意味で、それは南無阿弥陀仏ではなく、色即是空の事を指す。あるいは空即是色の事をいう。要するに般若心経の世界である。
 
 色は「いろ」、文字の由来はご存知のむきも多いやもしれぬが、男女の交歓のことをいう。本来的な意味はともかくとして、般若心経の「色」は、いろが転じて人間世界、森羅万象の事と考えて支障ない。森羅万象ことごとく陰陽から成り立っている。陰陽とは、夜と昼、吸う息と吐く息、押しと引き、干潮と満潮、男と女ですな。
 
  森羅万象はなべて宇宙の創造主が創りたもうたのであって、陰陽も創造主が支配し、宇宙の営みも、人間の営みも、すべて万物普遍の法則に従って回帰を繰り返すが、元はひとつである。「空」とはそういう意味であると解せられる。
 
 人類の歴史を悠久の流れに順(したが)って遡っていけば、霊魂になるのではあるまいか。元来私たちは霊魂であったのではないだろうか。その名残が、霊感や第六感という超自然現象となって、今もなお残っているのではないだろうか。人類の進化だけは、進化の類型からはみ出したのではないだろうか、霊魂の存在ゆえに。
 
 この世は不思議に満ちている、と思うことがある。その摩可不思議な世界の扉は容易なことでは開かないが、霊魂だけが扉を開かずとも往ったり来たりできるのではないだろうか。21世紀の今も、私たちの理解の及ばぬ事は多いのである。
 
 般若心経の経文に「無限界乃至無意識界」というくだりがある。私の好きなくだりだ。また、「苦集滅道」や「遠離一切顛倒無想究竟涅槃」という箇所もいい。意味深長であるばかりか、響きまでが美しいのである。
 
 般若心経を七巻から十巻唱えると心が落ち着く。だから時々唱えるのである。写経も悪くはないのだが、私は般若心経は声をあげて唱えるほうがいいと思っている。無論、般若心経を唱えている時は、上記の字面など忘れている。ところで、きょうはお彼岸(の中日)でしたな。
 
 
                    (未完)
 
                
更新日時:
2002/03/21

FUTURE INDEX PAST