かたりべ
 
 書くことと語り伝えることと、どちらがより精確にものを伝えるかという問いに、語りべたちは躊躇なくこたえるだろう。語り伝えることのほうが、遙かに事の本質や、登場人物の複雑で屈折した心理状態をきめ細やかに伝えることができると。
 
 語りべたちの自信は、彼らの驚異的な記憶力に依るが、勿論それだけではない。語り伝えの中に現れる神々や人々への畏怖と崇拝の念、思い入れと親近感、語り伝えることの使命感と責任感に裏打ちされているのである。
 
 そして忘れてならないのは、文字に対する彼らの根強い不信感であろう。文字を書くという行為になれてしまうと、かえって忘れっぽくなることに彼らは気づいていた。忘れても、書いたものをみればわかるなどと人は言う。書いたつもりで書かなかったこと、つい面倒になって書かなかったことを、時間がたっても鮮明におぼえていられるだろうか。
 
 文字は便利であるが、物事を精確に伝えるという点で少なからぬ弊害のあることを彼らは知っていた。語りべの語る口調、抑揚、躍動感、静と動、明と暗、喜怒哀楽、あせり、おそれ、もどかしさ、意外性…。
 
 五感を駆使し、身体全体からほとばしり出る言霊による表現法が、文字に劣るなどと誰がいえよう。それら言霊は語りべから語りべへと、時空を超えて語り継がれ、受け継がれていった。
 
 語りべが精魂こめて伝えようとするさま、その類いまれな気迫と集中力は、聞くものに切々と響き、うち寄せ、せめぎあい、ついには怒濤のごとく相手を飲みこんだであろう。
 
 語りべが自らの矜持(きょうじ)を保っていく最良の道は、語りの内容を一言一句たがえず後世に伝えることである。文章になると、大切なくだりが省かれたり、不必要なことが書き足されたりする。かてて加えて、語りべ独特の節回しや口調も、その語り口によって生命の息吹をはなっていた神々や人間も、みんな何処かへ消え去っていく。後日譚としての蘊蓄や講釈がのこったところで何になろう。
 
 人間が文字をたよるようになって以来、あれほど生き生きしていた神話の登場人物は、途端に精彩を失っていった。語りべから語りべへと受け継がれてきた言霊はすみの方へ押しやられ、次第に輝きをなくし、言霊ということばだけがのこったのである。
 
     
 
更新日時:
2002/04/08

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