幸福論序論2
 
 いまにして思えば、彼らの多くは、私が与えたものに対して感謝するかわりに、私が与えなかったものに対して私を容赦しなかった。いや、容赦しないなどというより憎悪した。そして私を敬遠した。
 
 人は往々にしてそうなのだ、人は犬と違い恩を忘れるのである。仲の良い親子であっても、子が親の恩を忘れないのは稀である。すべての子は三歳までに親に恩返しすると云う。そしてその後、恩を忘れて成長するのである。そもそも、感謝の念を持つことと、恩を忘れないことは別種のものであってみれば。しかし恩は議論の外にある。言わぬが花ということなのだ。
 
 斉藤緑雨は、「恩はかくるものにあらず、かけらるるものなり。みだりに人の恩を知らざるを責むる者は、己も畢竟恩を知らざる者なり」と云う。げにむべなるかなである。
 
 幸福と感謝は親子のようなものである、あるいは仲の良い夫婦。両者は切っても切り離せない。人は感謝の念を失わぬことにより幸福を失わない。感謝は人の心を豊かにし、感謝された人はささやかな幸福感にひたる。幸福の味はえもいわれぬ味がする。
ある人は、「他人の不幸は蜜の味がする」と言った。その人は永遠に理解できないであろう、小さな幸福の味を。
 
  
     行き暮れて 木の下蔭を宿とせば
       花や今宵の主ならまし          忠度
 
 
                        
                      (未完)
 
更新日時:
2002/04/09

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