格安旅行の快楽(4)
 
 旅が終わって、ひとり愉悦にひたる瞬間があるとすれば、それはたぶん特定の何かに対してではなく、旅そのものが自分の思い通りに取り計られたことに対してではあるまいか。
 
 思い通りとはいささか手前味噌にきこえるであろうが、私にとって思い通りの旅はたいした旅ではない。愉悦などはちっちゃい、ちいさい。快楽にわが身を委ねてこそ旅はまっとうできるのであり、旅に溺れてはじめて旅の何たるやを知るのである。
 
 旅にある種のプラス・アルファが加味される、ありていにいうと、予期せぬ珍事に出くわして旅は膨らみをもつのではあるまいか。珍事の中味に関しては人様々であるし、膨らみもまた人それぞれである。ただはっきり言えるのは、死に土産ほどの費用をかけて大名旅行の結果それを得るのではなく、格安旅行のすえに得るのがよろしい。
 
 実際、格安旅行の値打ちは旅の前に実感するものではない。なぜなら、旅の果実を得ることができなかった場合、格安旅行はたちまち色褪せてしまうからである。旅を終えて、何らかの果実を得たという実感を強く、深く感じてこそ格安旅行は価値をもつように思われる。少なくとも私はそう思う。
 
 快楽は、当たり前の事をいって恐縮ではあるが、苦痛を経なければ快楽かどうか分からない。悦楽、快楽も、それが半日常化していたり、享受する側が快楽慣れしてしまうと、もはや快楽ではなくなるのだ。
 
 旅のルートを綿密に練り、可能なかぎりの資料に目を通し、旅行に適した季節に安価な航空券を入手し、手頃で素敵なB&Bを自分で予約(FAXで)し、旅の設計図を構築し、旅立ちにそなえる。予期せぬ出来事に遭遇するとすれば、そういう努力が実を結び、プラス・アルファを生むのであろう。 
 
 旅はあらゆる要素を内含する総合文化のようなものだと私は思っている。だから人は人生を旅にたとえるのではないだろうか。よい旅は、ほかでは得ることのない感動、充足感、解放感を私に与えてくれるのだ。だから私は旅に溺れる、旅の快楽に酔いしれる。
 
 ツアーで行くよりずっと安い費用で、遙かに納得のゆく旅ができた、そういう実感が伴うから尚更喜びは大きい。書斎に閉じこもり、ロードマップの細かい字と格闘し、山と積まれた資料を丹念に調べ上げ、集中して旅を構築した結果、そういう喜びが生まれるのである。格安旅行の快楽はかくしてわがものとなるのである。 
 
 
                      (未完)
 
更新日時:
2002/05/28

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