色と感情 (1)
 
 夢でも現(うつつ)でも、経験が色に置き換えられることがある。
 
 歓喜は茜、渇望は赤銅、落胆は鈍(にび)、虚無は薄墨、恐怖と憤怒は赤、不安は青褐(あおかち)、好奇心は秘色(ひそく)、希望は萌葱(もえぎ)など。
 
 瞼を閉じれば漆黒かと思いきや、瞼の内側には鉄紺、青墨、深紅、紅赤など様々な色が点滅する。重かろうが軽かろうが、衝撃を受けた時、頭は真っ白となる。感情を色で表現する時、どんな色になるかは人それぞれであるのだが、私たちの在りようを色であらわすことがある。
 
 顔の赤いのは怒った時と恥じ入った時。顔が青いのは心配事のある時と意気消沈した時、心が真っ白なのは正直者の証し、腹が黒いのはイヤなやつ。お尻が青いのは未熟者、嘴の黄色いのは、…近年これが異様に増えています。しかし、腹黒とか青尻、黄色の嘴は感情をあらわす色とは違いますかナ。
 
 女性が好む色の代表とでもいうべき色は、少なくともホームページをお持ちの方は圧倒的に白ではないでしょうか。個人的には各々好みの色もありましょうに、なぜか白がお好き。白は清潔感、純真、透明感など、女性が自分をイメージする色なのかもしれない。もっとも、イメージは単にイメージで、それはある種の志向なのであり、願望色とでもいうべき色である、と言ったら怒るでしょうナ。
 
 怒ると白はたちまち赤かピンクに変化いたします。低血圧の人は蒼白くなるかもしれません。
 
 私はタンポポ色とか薄紅色、ラピスラズリ・ブルーが好きなのだが、それ以上に好きなのが緑色。緑の中でも、常磐、柳、木賊(とくさ)、深緑を好む。森に入ると、様々な緑が大きな掛布団になって私を覆う。夜、とは限らないが眠りに入る時、布団を手で首かあごまで掛ける時の、あの心地よい感覚と同じなのだ。
 
 森に入るのは眠るのと同様、浮世の禍事(まがごと)をすっかり忘れられる。眠りに落ちるとき、一瞬目の中が緑色になるのは、森と私がどこか遠いところでつながっているからなのだろうか。緑色は私にとって安らぎ色であり、癒し色なのである。
 
                      (未完)
 
更新日時:
2002/06/28

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