色と感情 (2)
 
 歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の六段目に「色に耽ったばっかりに…」というセリフがある。早野勘平の名セリフで、今の菊五郎があるテレビ番組で好きなセリフはと聞かれて応えた文句である。勘平とお軽が深いなじみを重ねている最中に、主君が松の廊下で刃傷に及び、勘平はそのことで自責の念にかられる。
 
 主家がお取り潰しになった後、ふたりはお軽の両親の住まいする兵庫県能勢町あたりにひっそりと暮らしている(五段目)。勘平は猟師で生計を立てているのだが、お軽は勘平が必要とする金を工面するため祇園に百両で身を売る。半金の五十両をお軽の父が縞の財布に入れ帰路を急ぐのであるが、定九郎というおいはぎ(不良浪人)に殺され、五十両も財布ごと奪われてしまう。
 
 勘平は暗闇の中、イノシシと間違え定九郎を鉄砲で撃ってしまうのだが、人と分かるとあわてふためく。そして、定九郎の懐に手をあて五十両に手が触れる。金ほしさの思いからその縞の財布を取りだし、浪士・千崎弥五郎の後を追い千崎に手渡すのである。これが仮名手本忠臣蔵・五段目「山崎街道」。
 
 六段目では、お軽の母からお軽の身売りの話を聞いて、縞の財布が舅のものではないかという疑念が生じた矢先、舅の死骸が家に運び込まれる。勘平が放った鉄砲の弾に当たったのは舅だったのか、勘平はすっかり動転する。
 
 勘平は思いあまって腹を切るのだが、そのときの痛恨のセリフが「色に耽ったばっかりに」なのである。この色とは、無論男女の秘事をいうが、勘平を演じる菊五郎のこころが、舞台上の勘平のこころと重なり合いながら、実は微妙な違いを生じつつ進行するところが面白い。
 
 「色に耽ったばっかりに」というセリフを言うときの役者の色は何色なのか。悔恨、自責の念を示す赤墨あるいは紫黒であろうか。しかし勘平は二枚目で色男なのだ。勘平を演じるときのハラ(肚)は、色男のハラで演じなければ芝居にならない。最期の最期まで色男をひきずっていないと絵にならないのである。
 
 秘事の色は、男女の組み合わせや年齢にもよろうし、一概に何色と決めつけるのは憚(はばか)られるが、あえていうなら薄紅色か。目のふちがポ〜っとひとはけ刷毛でなぞったような、鮮やかで艶やかなピンク色になるときの色…。
 
 勘平役者は、薄紅色の心で墨または黒色を演じるというさだめにあるように思える。心境は黒灰色になっても、黒灰色に押し流されず、色男としての薄紅色がそこはかとなく立ちのぼる二枚目。
 
 勘平は全く異なる2種類の色を同時に放たなければならない。そしてそれは勘平だけの特殊性ではないだろう。好むと好まざるとにかかわらず、私たちもそういう経験をしてきたである。
 
         
                       (未完)
  
 
更新日時:
2002/06/29

FUTURE INDEX PAST