いまはどうか知らないが、小学校の科目に図画工作(図工)というのがあった。エッセイの「絵日記」でも述べたように、私は絵を習っていて、その頃は絵を描くことよりも、ヨーロッパの画家の絵をみることと画材に執心していた。画材といってもクレパスと水彩絵具のことで、特にクレパスの色にはうるさかったように思う。
当時、つまり昭和30年代初期はいまと違いモノのない時代ではあったが、クレパスはサクラ、ペンテル、そしてもうひとつと三種類あった。サクラは昔もいまも変わらない。ありていに言うと色に深みがない。ペンテルはライバルのサクラに対抗して、サクラにはない色、青緑や青紫などバラエティに富んだ色のクレパスを作っていた。
16色が普通の時代に、24色、36色入りのクレパスを製造販売し、図工好きの小学生の心を大いに刺激したものである。クレパスで絵を描くとき、仕上げに使う黒と白は減りようが激しかったが、緑系の何色かの色も白黒同様すぐになくなった。
さて、私が愛用していたクレパスは、実はサクラでもペンテルでもなかった。そのクレパスは変な形をした木箱に入っていた。その形はクレパスのメーカー名を知れば誰でも分かるのだが、私はその頃その楽器を生でみたことがなかった。
そのクレパスはペンテルに較べても色に深みがあり、素材もやわらかく、ひとつひとつの色が濃いように思われ、画用紙に置いたときの色の出具合、乗り、滑(ぬめ)りがよいのである。それまでペンテルを使っていた子供にとって、ギターという名のクレパスはまさに驚愕とでもいうべきシロモノであった。
ギターのクレパスを使うと、クレパスで描いたというより、油絵具で描いた絵のようにねっとりしていたのである。急に自分がおとなになったような気がした。だが、ギタークレパスは高かった。24色入りはペンテルの倍ほどした。両親は子供のためにと買ってはくれたが、白と黒、それに緑系の色はすぐになくなった。それらの色が不足していたら、思うような絵は描けない。
私は貯金(お年玉を貯めていた)をおろしてバラ売りのクレパスを買った。そのときの私はギターのクレパスを買うよろこびの色、萌葱や茜に満ちあふれていたように思う。あれから50年近い歳月が過ぎた。今でも私はその頃の夢をみることがあるが、夢の背景はきまって茜と萌葱である。
(未完)
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