Palacio De Seteais
Palacio De Seteais
 
シントラのホテルの中で、ポルトガルの栄枯盛衰をみてきたホテルといえば
やはりこのパラシオ・デ・セテアイス(七つのため息の宮殿)だろうと思う。
「夢の途中」にホテルを遠望した画像と、ホテルからペーナ宮を撮影した画像
が、「リスボン追想U」にシントラやペーナ宮、ムーア人の城跡の大きな画像が
ありますので、そちらのほうもご覧いただければ幸いです。
Palacio De SeteaisU
Palacio De SeteaisU
 
パラシオ・デ・セテアイスは18世紀末に建てられた。19世紀、ナポレオンは
破竹の勢いで欧州全域に進軍、1805年にイタリア国王となり、1807年、
配下のジュノー将軍がポルトガルを占領。同年11月、ポルトガル王ジョアン6世は
ブラジルへ亡命。だが、翌年ウェリントン指揮の英国がポルトガルに送った援軍
はまたたく間に進攻しヴィメイロでジュノーの主力を撃破、フランス軍に勝利する。
 
ところが、フランス軍との間に1808年8月30日に結ばれた「シントラ協定」が
英国・ポルトガル双方にとって不利な休戦協定で、フランス軍の降伏は全く
明記されていないばかりか、ポルトガルからのフランス軍撤退を英国の船舶で
行うことが明記され、撤退後もフランスの非戦闘員はポルトガルにとどまっても
よいことが記されていた。さらに、ポルトガル人でフランス側に占領中味方し、
売国奴的行為を行った者たちの安全を英国が保証するという内容であった。
高官たちは思わずため息を洩らしたと伝えられている。その数7回…。
 
これに憤慨した英国民は多く、なかでもワーズワースは「シントラ協定論」を発行、
シントラ協定をクソミソにこきおろし、ポルトガル国民の抵抗(ナポレオンに対する)
を絶賛、また、ウェリントンを評価しつつ、シントラ協定のいいかげんさを厳しく
批判した。民族の独立なしに真の自由なしというワーズワースのロマン主義が
ふつふつと沸いてくるのを感じ小気味よい。
 
ナポレオン失脚後、七つのため息の宮殿と名付けられた建物はホテルとなった。
客室
客室
 
このホテルでの滞在のために快適という言葉があるのでは‥
といっても過言ではないほど快適なホテルライフを約束してくれる。
温かいもてなし、行き届いたサービスと心配り、うまい食事‥。
素晴らしいロケーション、手入れの良い変化に富んだ庭‥など。