熊谷
熊谷
 
2002年7月刊行された仁左衛門のロング・インタビュー集(「仁左衛門恋し(世界文化社)」は、歌舞伎の現状と未来を考えさせられるだけでなく、辛酸と労苦を経て得た果実が人に何をもたらすか、感謝することがどれほど人の心を豊かにするかを物語っている。
 
大阪、京都、東京の三都に暮らし、それらの町のもつ陰影を舞台と実人生に生かした人を私は仁左衛門のほかに知らない。1992年12月、重度の肺水腫を患い、南座顔見世・楽日の舞台終了後に倒れ、翌93年8月退院するまで生死の境をさまよった。私は芸道の神々が仁左衛門をして芸の核心にふれなさいと命を救ったのではないかとさえ思っている。それほどに仁左衛門の芸は人の心を打つのである。
 
上の画像は「熊谷陣屋」の熊谷次郎直実。「寺子屋」の松王丸、「仮名手本忠臣蔵」の由良助、「床下」の仁木などとならんで仁左衛門の芸が役柄にのりうつる演目である。仁左衛門の心と身体から発散される何かが、たとえ歌舞伎特有のことばの分からない人(たとえば外国人)にも感動を呼ぶ。それこそが芸の力なのだ。
十五世片岡仁左衛門
十五世片岡仁左衛門
 
片岡孝夫(本名)は大病から奇跡的に生還、15代目片岡仁左衛門を襲名。その時大阪・高津神社でのスナップ写真、仁左衛門の人柄そのままの絵、これが「芸は容易に会得できるものではありませんよ、死ぬ間際になっても手にすることはできないかもしれない。それでもあきらめないのが役者です」という歌舞伎役者の素顔である。

PAST FUTURE