1996年10月12日ミュンヘン11:10発LH4666便に搭乗、リスボン13:25着(ミュンヘン=リスボンの時差は1時間)。
座席は一番前の1B、1Cで1Aには温厚そうな紳士がすでに座っていた。彼はパントンさんといって、4WDで知られる
ローバー社のポルトガル現地法人のスーパーバイザー&ディレクターだった。
座ろうとした伴侶がパントンさんにほほえんで何かいったが、これが機内での幸運を呼ぶこととなる。
LH4666便が離陸し、水平飛行にうつるやいなやパントンさんは私たちに話しかけてきた。
リスボン訪問が二度目であることを彼に伝えると、ポルトガル語の練習はいかがですかと提案してくれたのである。
もちろん当方に否やのあろうはずもないし、機内の退屈も吹き飛ぶので受諾。
そうこうしているうちに機内食がはこばれ、予想に反して味のよい午餐を楽しんだ。が、パントンさんはその間も私たちに
ポルトガル語の教授を続け、私は何度も発音を聞き返したが、そのつどイヤな顔もせず応じてくれた。
3時間15分の搭乗時間のうち3時間近くもポルトガル語を教えてもらった私たちはいっぱしの習得者になれたような錯覚に陥った。
4666便がリスボンに着陸する10分前、クルーがパントンさんの機内食を下げにきた。なんと、パントンさんはオードブルとコーヒー
にしか手をつけていなかった。私は非礼を詫びた。そのときのパントンさんのセリフは次のごとくである。
「It's my pleasure.」 あのときの飛び入りはまさに私たちであった。
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