子供の値打ちU
子供の値打ちU
 
永遠とはいかなるものであったか。「失われた時を求めて」の中でM・プルーストはパスカルの言葉を引用した。
「頭上にひとくれの土がばらまかれ、すべては永遠に過ぎ去る」‥。もったいぶった言い方、と思うことがある。
死ねば永遠かそうでないか、どのように判断するのであろう。
 
すべては永遠に過ぎ去るものではあるまい。時が止まるからこそ永遠という意識が人に生じるのではないだろうか。
時が止まるから永遠は意味をもつのではないだろうか。永遠とは色あせることがなく、私たちにとって望ましくない変化を
もたらさない、それが人の一生で唯一永遠と呼べるものではないだろうか。
 
生身の人間にとって永遠とは、時間が凝縮され、その人の生あるかぎり不変でありつづける何かではないのか。
そのかぎりにおいて私は一枚の写真に永遠をみるのである。
 
 
子供の値打ちU
子供の値打ちU
 
動画より静止画を好む理由は、動きのあるものには永遠を感じないからである。
動画にくらべて静止画は、写真の奥に封印されている数々の記憶をあざやかによみがえらせてくれる。
私はしばしば思うのだ、少女の目は動画より生き生きと動いているではないかと。
 
上のおちびさんと下の少女は同じ子である。永遠がほんの少し移動して時が止まっている。
もしかしたら、子供へのある種の思い入れにより私は神的瞬間に達することができるのかもしれない。

PAST FUTURE