永遠とはいかなるものであったか。「失われた時を求めて」の中でM・プルーストはパスカルの言葉を引用した。
「頭上にひとくれの土がばらまかれ、すべては永遠に過ぎ去る」‥。もったいぶった言い方、と思うことがある。
死ねば永遠かそうでないか、どのように判断するのであろう。
すべては永遠に過ぎ去るものではあるまい。時が止まるからこそ永遠という意識が人に生じるのではないだろうか。
時が止まるから永遠は意味をもつのではないだろうか。永遠とは色あせることがなく、私たちにとって望ましくない変化を
もたらさない、それが人の一生で唯一永遠と呼べるものではないだろうか。
生身の人間にとって永遠とは、時間が凝縮され、その人の生あるかぎり不変でありつづける何かではないのか。
そのかぎりにおいて私は一枚の写真に永遠をみるのである。
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