子供の値打ちT
子供の値打ちT
 
子供のいる風景はいつまでも色あせることがない。あのころ三つだったのに、もう20代かぁ、どうりで私たちも年をとるわけだ…。
そんな会話に花が咲くのも風景の中に子供がいてこそである。人はみな平等に子供時代をもっている、恵まれていようがいまいが。
 
子供の発想というのはなぜああも楽しくて面白いのだろう。世界に名だたる文豪といえども、
子供の口から発せられる当意即妙のことばにはかなわない。ことばの面白さは語彙の豊富さによるものではない、つくづくそう思う。
 
子供の値打ちT
子供の値打ちT
 
少女は口一杯にイチゴをほおばった。イチゴはたまらず口から飛び出した。少年は幼児の頃からスヌーピーのぬいぐるみを
小さな歯でかんでいた。少女がお店屋さんごっこをした時、お店の売り物の値段はすべて850円であった。850という
語呂、語感が好きだったようだ。少年はスヌーピーのことをいつもピッチと言っていた。五千円や一万円札1枚より穴のあいた
50円玉1個と10円玉2個のほうを選んだ。
 
ごく少数の子供たちは、おとなになっても子供のころの輝きを失わないが、ほとんどは輝きを失う。
私はそのことが残念でならないのだが、世の中の仕組みや厳しさゆえに失われるのかとも思う。
だがしかし、それゆえにこそ失ってもらいたくない何かがある。輝きとは決して特別な
ものではない。輝きとはある種のひたむきさのことであり、素直さ、屈託のなさのことなのだ。

PAST FUTURE