小高い山と深い森に囲まれた絶好のロケーション。
もっとも優れた観光資源=自然の中にホテルは佇み、
森の精と共に悠久の時を刻んでいる。
 
夢ホテルはその営みを静かにみているのである。
ここを訪れる人の多くは自然を愛し、
慈しむことを知っているのだろうか…。
 
ここまで来た旅人は、観光や買物から解放され、
四季折々の美しい自然を心ゆくまでたのしむ。
朝夕の散歩、日中のハイキング、夜の満天の星。
 
ここに滞在している間に身体のすみずみまでが
リフレッシュされてゆく…。

ここへ来るまで10年の時をついやした。
最初は1990年8月末、仕事で京都にいた私は、
深夜、宿泊先の宝ヶ池プリンスホテルで高熱を出し、
翌早朝、京都日赤病院へ緊急入院した。
 
2日後にジュネーブに向けて旅立つはずだった。
一人息子ルドルフが自殺し、自らもレマン湖畔で
暴漢の凶刃に倒れたオーストリア皇妃エリザベートの
足跡を辿る旅のプランを、半年かけて練りに練った。
ローザンヌからエビアンへ車で移動し、旅の終わりに
この夢ホテルを訪問する予定であった…。
 
2度目は1999年5月、関空まで行っていながら、
AF291出発15分前、心臓に異常を感じ、急遽中止した。
主のいない椅子。帽子は予約済みの証しである。

 
ホテルからさほど遠くない距離、6`先の徒歩圏内、
静寂な森の中におごそかに流れるこの川は、
ある有名な川の源流で、途中幾つかの支流と合流し、
2千`の旅をへてバルト海へそそいでいる。
 
日中、夢ホテルへ遊びに来た森と水の精の棲息地なのだ。
森と水の精が天地の御力に助けられ織りなした、
どこより美しく精緻な空気というタピスリー。
夜明けから日没まで、金色と銀色の糸が撚(よ)られる。
 
感性はここで育まれるが、育まれるのは感性だけではない。
叡知もまたこの森で育まれるのである。
利便性を追求し、人生をうまく生きることではなく、
人生をよく生きることの意味をこの森で知る…。
 
ここへ来たいがために何度も再訪を繰り返す旅人がいる。
50年前も今も寸分違わぬ森と川。川にはカワウソがもどり、
森にはいまもアナグマが棲み、フクロウが昼夜を問わず鳴く。
旅人は変化しない事の大切さをも教わるのである。

 
時が止まったかのようなレストラン。
 
食事という行為は、単に料理を食するためにあるのではなく、
自然の中に植生した様々な美しい食材を味わう悦びを、
天、地、人が共有するためにあるのではないだろうか。
美食とは本来そういうものではなかったろうか…。
 
森のホテルで味わう快楽。
自然との共生がよろこびであることを喚起させる午餐。
 
シェフは、美しい自然という最強のアペリチフを味方に思う存分
腕をふるってくれる。都会のレストランとは異なる手法で。

 
アンガス牛のロースト・ビーフ。
英国が本場であるが、アンガス牛を使うのはきわめて稀。
神戸牛ほどの旨味はないと考えている人は多いが、
やわらかさと甘みは神戸牛にもひけをとらない。
いうまでもないが、夢ホテルは狂牛病とは無縁である。
 
ソースは赤色ドディーヌと呼ばれ、赤ワインにひたした
トースト・パン、豚脂で揚げた玉ねぎ、シナモン、ナツメグ、
クローヴ、砂糖と塩などが主材料である。
付け合わせの胡瓜に乗っているのは、フォアグラに
少量のチリを混ぜたパテ。
帆立貝のムースには柘榴(ざくろ)の実をあしらった。

 
客室はみな快適だが、ここではやはりグランド・フロアが
好まれるようである。1階の部屋は御覧のように庭付き、
居ながらにして森林浴も思いのまま、寝室と居間は別で、
3日や4日の滞在は短いと感じてしまう。
 
そう、このホテルなら1週間の滞在でも飽きることはない。
ホテルに望む条件がほとんど備わっているからだ。
が、ショッピング大好き人間は退屈するかもしれない。

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