夜見る花は美しい。夜間照明に映し出される花も
美しいには違いないが、月明かりに照らし出された
花はもっと美しい…。
夜は美しさを引き立たせる妖しさに満ちている。
古人が歴史は夜つくられると言ったのは、
あながち比喩ではないのかもしれない。
 
花はすなわち母なる女性、ゆえに花の絵は不要である。

 
夢ホテルのレストランはいつも予約客でいっぱい、副支配人は
テーブルのチェックを常に怠らない。
入念さが客の信頼へつながる事を彼は知っているからである。
 
いつも新品のようなクリストフルの銀食器、特殊な洗剤を使って
真っ白になったリネンのナプキン、可愛い照明と可憐な花。
夕食を飾る小道具は毎日取り替えられる…。
とはいっても、2週間立てばまた元にもどる。
 
セット・ディナーは6000円と8000円の2種類が用意され、
ディナー向けアラカルトは2500円から4800円まで。
デザートは800円から1200円まで豊富に取り揃えてある。

 
翌日のテーブルはこんな風にアレンジされていた。
夢ホテルの利用客が何日かにわたって夕食をとりに
来る事も考慮に入れてのアレンジである。
 
もちろん、泊まり客だけが食事に来るわけのものではなく、
近隣からひとときの舌の快楽を求めてやって来る人もいる。
夢ホテルでは月の第三水曜、セット・ディナーは半額となる。
これは言うまでもない事だが、半額だからといって
食材や味付けのランクが下がることはない。
夢ホテルは地元住民にも強く支持されているのだ。

 
客室はすべて充分な広さ、照明デザインはホテルの自慢。
客が各自の部屋で夜を快適に過ごすための演出に配慮する。
天蓋付きなのは、噂をきいてやって来るハネムーナーのため。
天蓋のカーテンは濃密な夜をつくるのに一役かっているのだ。
 
フルムーン客用のSitting Roomは3室あるが、夜の利用は
少ないようである。奥方のいびきで眠れぬ旦那が数人、
男談義に花を咲かせる光景を目にする事はあっても…。
 
ベッドの形状、硬さ、大きさ、背と腰、臀部のあたる部分の
心地よさは特筆ものであるが、それは、そうだと気づく人に
しか分からないようである…。夢ホテルは見えない所に
惜しみなく高価な材料をつかう。

 
初夏から盛夏、朝食は裏庭のテラスでとることもできる。
 
午前7時半から朝食はスタートするのだけれど、
7時台に来る人はほとんどいない…。
朝の早い夫婦も、1時間ほどの散歩をたっぷりたのしみ、
お腹をうんと空かせてここへ来る。
 
ここで朝食をとる人たちはみな一様に幸福感を味わうのだが、
それはただコーヒーやオレンジジュース、卵料理やベーコンが
特別の素材を使用して、心をこめてつくられたものという理由
のみによるのではなく、前日の快適さ、睡眠の深さなどにも
関係するように思われる。
 
Sitting Roomで束の間の時を過ごした男たちの顔も、
朝になると爽やかな顔にもどる何かがあるのだ。
夢ホテルはトータル・バランスがよい、それも魅力のひとつである。

 
ここからの眺望はどのガイドブックにも紹介されていない。
旅行案内書は10年一日のごとく同内容の再版を繰り返し、
新たな発見にも無関心である。穴場はだれもが知っている。
ガイドブックや情報誌に載っている穴場のどこが穴場なものか。
 
夢ホテルのオーナーと、日中しか開けていないこのレストラン
の女主人は旧知の間柄である。だったというべきかもしれない。
お互いに長年連れ添った伴侶を数年前に亡くし、
わけありの仲になって3ヶ月立つ…。
 
夢ホテルを再訪した宿泊客に「眺めの良いレストランが‥」
と紹介し、「でも、夜は営業していないのです」、
「夜は真っ暗でせっかくの景色が見えませんから‥」と説明する。
彼のホテルから車で1時間半の距離は、夜の逢い引きには
遠すぎるのだが、漆黒の闇ゆえの営業制限は好都合なのだ。

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